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桓武天皇のゆかりの地・交野。大阪府枚方市・交野市

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 交野の地。現在では枚方市と交野市と自治体が別々になっていますため、別々の地と思いそうですが、元々は枚方市、交野市の一帯の事を交野と呼んでいました。
 今の枚方市、交野市は、明治以前の区分は河内国交野郡になります。

 ところで桓武天皇と交野の地は深い関係があります。
 続日本紀の桓武天皇の章を見ますと、交野で鷹狩りをした記述が何ヶ所かあります。
 3月25日のブログ(交野天神社と桓武天皇。大阪府枚方市楠葉)で紹介しました交野天神社は、桓武天皇が父親の光仁天皇を祀るのと同時に、中華皇帝の真似をして郊祀を行った場所です。

 他にも桓武天皇の交野行幸の記述が続日本紀にあります。
 交野へ行幸の際、一年間の免税としたと書いています。
 そして国司・郡司だけでなく、その従者や、行宮(一時的な天皇の住まい)の周辺の高齢者は物を賜った。
 行宮に供奉する百済王氏の人達の官位を昇格させたり、百済寺に対して近江国・播磨国の二国の正税(米を税として納めた物)の一部を献上したとも書いています。
 百済王氏は、白村江の戦いで敗れた百済王の末裔です。

 日本書紀、続日本紀の内容を鵜呑みにはできませんが、古代の歴史散策を行います際、日本書紀や続日本紀がありますと、さらに散策する楽しみが増えますね。

 余談ですが、交野周辺は江戸時代は河内国交野郡ですが、桓武天皇の時代は山城国交野郡でした。続日本紀では山城国になっています。
 現在でも市町村が別の県に編入する事があります。最近の例では、島崎藤村の故郷・馬籠は、以前は長野県木曽郡山口村でしたが、2005年に岐阜県中津川市に編入しています。
 昔もいろいろな事情で編入などがあったようですね。

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