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紫式部、清少納言は人名ではなかった

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 平安時代の女流作家・紫式部と清少納言。
 ところで、最近になって、紫式部も清少納言も人名でない事を知って驚きました。

 なぜ紫式部と言われているのか調べてみました。まず紫式部の本名は今も不明です。これも驚きました。
 紫式部の父親は藤原為時でした。藤原為時の官職は式部大丞でした。式部さんの娘という意味です。
 冠に紫が付いたのは源氏物語に出てくる「紫の上」に由来する説や、苗字の「藤原」の「藤」をとって、藤原式部さんの娘で「藤式部」と呼ばれていたのが、いつの間にか「紫式部」になった説などがあります。 

 世界最初の長編小説の著者の実名が不明だったのは驚きですね。

 清少納言ですが、清原元輔の娘です。ただ、清原元輔は少納言になっていないため、なぜ、清少納言という呼び方になったのかは謎のようです。

 小学校か中学校の歴史で、平安時代の女流作家・紫式部と清少納言と習いました上、高校の古文でも出てきましたが、長年、人物名だと思っていました。
 たしかに字を見れば「式部」や「少納言」は役職なので、「紫」という姓や、「清」という姓は考えにくいですが、全く気づきませんでした。

 紫式部、清少納言は、実名ではなく、あだ名だったのは驚きですね。

 京都府宇治市にあります紫式部の銅像の写真です。

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