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金神社。金森の地の由来になった神社。滋賀県守山市。

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 2月22日のブログで、蓮如が京都を追われて、最初に身を寄せたのは金森の地でした。
 この金森という地名の由来になったのが、金神社です。

 金神社なので、お金にまつわる神社とか、黄金キラキラの神社を連想してしまいそうですが、金神社という名称になりましたのは明治になってからです。
 神社の由来を見ましたら「益須寺を守り、全ての住民の繁栄を願い、天武天皇の勅命で、吉野金峰山から御霊をお迎えして、金大明神になり、明治になって金神社になった」と書いていました。

 吉野金峰山は「金峯山寺」の事です。天武天皇の時代なので、今から1300年以上前です。歴史を感じますね。
 現在、益須寺はなく、跡地の看板だけがあります。

 天武天皇と吉野は深いつながりがあります。
 天武天皇は、大海人皇子の時代、兄の天智天皇から謀反を起こしかねない人物だと思われていました。
 常に天智天皇は、弟の大海人皇子を警戒しながら、懐柔策として、自分の娘(後の持統天皇)を大海人皇子に嫁がせたりしました。
 天智天皇が亡くなる寸前、大海人皇子を呼び「あとは頼んだ」と言いました。
 しかし、大海人皇子は罠だと感づきました。兄の天智天皇は息子の大友皇子を後継者と考えていた上、計略家だとわかっていたため、大海人皇子は「私には、そのような気はございません。出家いたします」と語り、一家と共に大津京をあとにして、吉野へ行き、ひっそりと住む事になりました。
 大海人皇子の一家が吉野へ向かう際、追っ手がきましたが、見事にかわしていった話があります。

 その後、天智天皇が崩御した後、壬申の乱が起こり、大海人皇子が大友皇子を倒し、天武天皇になりました。
 日本書紀は、天武天皇の時代に編纂が始まったため、大友皇子が天皇に即位していないという立場から、大友皇子の章はありませんが、明治になり、弘文天皇として、歴代の天皇の仲間入り(?)しました。

 金峯山寺の歴史を見ますと7世紀後半に創建されましたので、丁度、天武天皇の時代です。
 金峯山寺 紹介(金峯山寺のサイト)
 紹介の所には天武天皇に関する記述は載っていませんでしたが、深い関係がありそうですね。
 ところで金峯山寺は仏教寺院ですが、そこから御霊をお迎えして神社に祀る。もしかして天武天皇の時代には神仏習合が成立していたかもしれないですね。

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