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村上天皇がお忍びで訪れた奥飛騨温泉郷。福地温泉。岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地

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 9月7日、奥飛騨温泉郷を散策しました。
 そのうちの1つの福地温泉は村上天皇(926~967)がお忍びで訪れた伝説があります。
 村上天皇は平安時代・中期にさしかかる頃の天皇で、父親の醍醐天皇と同様、天皇親政を行った事で天暦の治と称賛されている天皇です。
 実際には天皇1人で政治を行っていたわけではありませんが、摂政・関白を置かずに政治を行った事で、藤原家を排除した政治をしたと美化されてしまいました。
 その美化した話を真に受けたのが後醍醐天皇です。「俺は醍醐天皇、村上天皇のような天皇親政を行う。俺は醍醐天皇の生まれ代わりだ」と言わんとばかりに、自ら「後醍醐」という贈り名をつけて、鎌倉幕府を倒したものの、時代に合わない天皇親政を行い大混乱。武士も公家も不満だらけの政治になり、結果、足利尊氏に裏切られ、3年で建武の新政が終わってしまいます。

 閑話休題。福地温泉を散策していますと旅館・山水さんの入口に、ささりんどうの家紋がありました。
 ささりんどうは源氏の家紋と言われていますが、正確に書きますと村上源氏の家紋です。村上天皇の孫が臣籍降下し、源氏姓を賜ったのが村上源氏です。
 それだけに、ささりんどうをみますと、まさに村上天皇がお忍びで訪問された温泉を連想しますね。

 ところで天皇家から臣籍降下した場合、源氏の姓を賜る事が多いため、源氏は沢山あります。有名なのが清和源氏で源頼朝、足利尊氏とつながっています。
 公家の世界は藤原家が勢力を占めていたため、最初は皇族出身で高貴な〇〇源氏でも代を重ねていくについれ貴族から脱落していきます。しかし、村上源氏は貴族・公家と続いていきます。
 村上源氏で有名な公家の1人が幕末に出てきます岩倉具視です。岩倉具視は元々は堀河康親の次男として生まれましたが、村上源氏の岩倉家に養子になりました。
 養子なので村上天皇の子孫かどうかはわかりませんが、岩倉家が村上源氏になりますので、平安時代から明治になるまで貴族・公家の身分を保っていた事になります。

 福地温泉には化石館がありました。中に入りました。奥飛騨の山中で三葉虫、ウミユリなどの化石が発見されているのに驚きました。遠い昔、海だった場所を表しています。
 ブラタモリみたいに岩石や地層、地質の話ができれば良いですが、タモリさんと違い、私には地質や岩石の知識が全くありません。古生物の知識もありませんので、その辺りの話が書けません。
 3億年前、4億年前の生き物の化石を見ますと想像を絶する時間の流れを感じます。平安時代の村上天皇は1000年以上前の人物ですが、3億年と比べたら1000年は短いです。
 阪神タイガースの地元では、阪神タイガースのアレが実現するまで「待ちに待った18年」でしたが、地球の歴史を考えますと、18年は一瞬としか言いようがないです。

 過去の痕跡を感じながら奥飛騨温泉郷の散策を満喫しました。

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