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ネタばれ注意。大河ドラマ「どうする家康」の最終回

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 先日、大河ドラマ「どうする家康」の最終回を見ました。
 淀君(茶々)の役を演じる北川景子さん。演技力の凄さを感じました。

 北川景子さんは大河ドラマの最初の頃は織田信長の妹・お市の役を演じていました。
 若き徳川家康に恋をしたけど叶わなかったという、予想外の展開に驚きました。
 お市ですが浅井長政と結婚し、3人の子供を産みます。長女・茶々、次女・お初、三女・お江です。
 お市の長女・茶々を演じたのが、北川景子さんです。母・娘の一人二役です。

 三女のお江ですが、最初は佐治一成と結婚しましたが、豊臣秀吉によって無理やり離縁させられ、豊臣秀勝(秀吉の甥)と結婚。
 その後、豊臣秀勝が亡くなり、徳川秀忠と再婚。生まれた子供が徳川家光と和子です。和子は後水尾天皇の中宮になります。
 織田信長の姪・お江。織田家の血をひいています。そのお江の息子が三代将軍・家光、娘の和子は中宮になりました。後水尾天皇と和子中宮の間に生まれた娘が800年ぶりに誕生する女性天皇・明正天皇です。
 織田家、豊臣家、徳川家、天皇家が親戚関係になります。

 大河ドラマの最終回で、僧侶・天海が出てきました。武田信玄の参謀でしたが、武田が滅んだあと、徳川家康の参謀になりました。
 徳川家康は75歳まで生きました。当時としては長寿ですが、天海はなんと108歳まで生きたと言われています。驚愕ですね。徳川家康だけでなく、秀忠、家光、家綱の4代将軍に仕えた人物です。
 ところで天海の役をしたのは小栗旬さんです。昨年の大河ドラマの主人公・北条義時役で出演されていました。メイクの技術が凄いせいか本物の老人に見えますし、言われないと小栗旬さんには見えないですね。

 天海が2冊の本を手にとりました。その2冊は源氏物語と吾妻鏡です。昨年と来年の大河ドラマをつなげているという、ちょっとした演出です。
 源氏物語の作者・紫式部は来年の大河ドラマの主人公です。そして吾妻鏡は徳川家康が愛読した鎌倉時代の歴史書で、昨年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」の話になります。昨年の大河ドラマの最終回の冒頭、松本潤さんが演じる徳川家康が吾妻鏡を読んでいる場面が出てきました。
 吾妻鏡は歴史書の側面だけでなく、武士の道理・治世を学ぶ書だったようです。それ以外にも徳川家康は人の意見を聞く姿勢をとっていました。以前のブログでも紹介しました「臣下の諫言を聞いた唐の皇帝・太宗(李世民)」で、太宗と臣下との問題をまとめたものとして「貞観政要」を、徳川家康は読んでいたためです。

 さて大河ドラマで徳川家康が最後を迎えつつある時、松山ケンイチさん演じる本多正信が登場し、手を握りしめながらねぎらいの言葉をかけていました。
 徳川四天王をはじめ三河時代からの家臣のほとんどが亡くなっていて、残っているのが本多正信でした。松本潤さんのメイクが良いのか75歳の徳川家康に見えましたが、松山ケンイチさんの場合、肌つやが良くてとても79歳の本多正信には見えない感じでした。メイクをするのも大変だなぁと思いました。

 最後は回想場面が出てきました。瀬名を演じる有村架純さんをはじめ、三河時代の家臣団の登場です。その中には途中で豊臣秀吉に出奔した石川数正までいました。石川数正は松重豊さんが演じていました上、番組が終わった後の紀行でもナレータとして登場していました。
 回想場面では岡田准一さん演じる織田信長、ムロツヨシさん演じる木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)まで登場しました。最後は明るく楽しく踊りと歌を交えながら終了するという演出でした。
 ふと気づきました。その中には松山ケンイチさん演じる本多正信が見当たりません。もしかして私が見落としただけかもしれませんが、もし、登場していなかったら、次の事が言えます。
 回想場面で登場した人達は全員、徳川家康よりも先に亡くなった人物です。そのため現世では本多正信が見送り、あの世で亡くなった人物がお迎えをするという演出です。

 その本多正信ですが、支えていた主君・徳川家康が亡くなった事で、緊張の糸が消えたのか、2ヶ月後に亡くなっています。

 ドラマでは大坂夏の陣で勝利した事で争いのない世の中になったとしていますが、実際には天草四郎の乱までは不安定な状態が続いていました。
 ドラマで頼りなさすぎる武将として描かれた2代目将軍・徳川秀忠。ドラマでは本多正信に「偉大なる凡庸」と言われた徳川秀忠ですが、実際の所は凡人どころか強硬手段もとれる人物で、福島正則をはじめとする豊臣恩顧の大名を改易して力をそぎました。本多正信の息子・本多正純も改易されました。もちろん「偉大なる凡庸」と言われた事に根に持ち、息子に対して仕返ししたというドラマ的な理由ではありません。
 色々、理由はありますが、その1つとして本多正純が徳川秀忠へ諫言していたのが気に障った事です。徳川家康は貞観政要を読んで、家臣の諫言を聞いていました。しかし、徳川秀忠は諫言に対して「俺のやり方に口出しする気か」という思いがありました。その一方で父親の本多正信が諫言役だったので、本多正純も父と同様、諫言役をしていました。それが気に障ったと言われています。
 そして徳川家康が築いた江戸城の天守閣も作り変え秀忠色の強い政治を行いました。

 来年の大河ドラマは紫式部。どんな展開になるのか楽しみですね。

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