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石舞台古墳は蘇我馬子の墓? 奈良県高市郡明日香村
1年前の事ですが石舞台古墳へ行きました。
奈良県の明日香村にあります石舞台は推古天皇の時代に権勢を振るった蘇我馬子の墓と言われています。
石舞台が蘇我馬子の墓だという決定的な証拠は見つかっていませんが、巨大な石を積み重ねてできた建造物のため権力者の墓と言われると信じたくなります。
日本書紀の推古天皇の章では「桃原墓に埋葬」と書いています。石舞台であろうという推測です。
石舞台の名前の由来は、石天井が平らで舞台のように見える事から「石舞台」と言われるようになりました。
実際、石舞台をそばで見たり、中に入ったりしますと、その大きさが実感できます。
重機のない時代に、どうやって巨大な石を切り出し運んできたのか不思議です。
蘇我馬子がどんな人物だったのか、それを知る手がかりは日本書紀にあります。
巷で流れています蘇我馬子像を簡単に書きますと以下の通りになります。
(1) 蘇我馬子は推古天皇の時代、絶大な権力を持つ豪族として権勢を振るっていた。
(2) 自分の意のままに天皇を操るため女性だった推古天皇を即位させた。
(3) 推古天皇は蘇我馬子をけん制するため聖徳太子を摂政に指名した。
(4) 聖徳太子は蘇我馬子から距離を置くため、飛鳥から離れた斑鳩に移り住んだ。
推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子のけん制のし合い、かつ3人が政治を行っていた場合、ローマの三頭政治(第一回・三頭政治はカエサル・ポンペイウス・クラッスス)を連想してしまいそうですね。
ただ、日本書紀の推古天皇の章では、巷で言われています蘇我馬子像とは違った側面を垣間見ることができますので紹介します。
絶大な権力を持っていた事を示す記述がいくつかありました。
蘇我馬子が病気になった時、病気治癒を願い1000人の男女が出家したと書かれています。動員人数の凄さです。
そして飛鳥川の辺りに家を構え、家の庭に池を掘り、池に島を造ったから「嶋大臣」と呼ばれていたと書いています。
後述していますが、蘇我馬子の言う事を推古天皇は全て聞き入れてきた事も日本書紀には書かれています。
絶大な権力を持っていた事は間違いなさそうですね。
ところで推古天皇が即位したのは蘇我馬子が推したわけではありません。
推古天皇の即位を懇願したのは豪族達です。蘇我馬子は、そのうちの1人に過ぎません。
そして、なぜ皇族女性を天皇にしようとしたのかは日本書紀には書かれていません。
推古天皇が聖徳太子を摂政にした事についても簡潔に「皇太子(聖徳太子)は国政を全て任せられた」と書いているだけです。
聖徳太子を摂政にした理由が日本書紀には書かれていません。
聖徳太子が斑鳩に移り住んだ事についても「移り住んだ」と書かれているだけで、斑鳩へ移住した理由は書かれていません。
推古天皇と蘇我馬子、聖徳太子と蘇我馬子が対立したという記載は、日本書紀にはありません。
十七条憲法、冠位十二階についても特に蘇我馬子の見解は書かれていません。賛成とも反対とも書かれていません。
そのため3者はけん制し合っていたのかどうかは日本書紀を見る限りでは謎のままです。
蘇我馬子は推古天皇の指示に従う姿が描かれています。
僧の1人が祖父に対して斧で打った事件があり、推古天皇は蘇我馬子に対して「戒律を守る僧侶が悪事を働くとは何事だ。全ての僧尼を集めて調べ、事実なら厳罰に処せよ」と指示をしました。蘇我馬子はそれに従い取り調べが始まりました。
この時、百済の僧が「仏教が伝わって100年も経っていないので僧侶が法に慣れていないので、悪事のあった者以外は全て許してやってください」と意見を述べ、推古天皇は聞き入れました。
ただ、それでも推古天皇は「道を修めた者も法を犯す事がある。これでは俗人に教えられようか」と主張し、僧侶の統制を行いました。一連の流れで蘇我馬子は推古天皇のやり方には反対はしませんでした。
反対に蘇我馬子の要求を推古天皇が受け入れていたかどうかですが、推古天皇の最晩の所で記載があります。
蘇我馬子は葛城県を自分の領地にしたいという申し出でした。この時、推古天皇は「あなたは私の叔父ですし、夜に言われた要求は夜に、朝に言われた要求は夕方までに、どんな事も聞き入れた。だが、この願いは聞き入れられない」と突っぱねました。この部分を見ますと蘇我馬子の要求を推古天皇は何でも聞き入れていたという事になります。
天皇を凌ぐ権力がある事がうかがえます。
蘇我馬子の評価ですが、推古天皇の章に蘇我馬子の死去した時の記述で、蘇我馬子は武略備わり、政務にも優れ仏教を敬ったと書いています。
べた褒めです。蘇我馬子を「馬」という動物の名前を当てているのは、蘇我馬子を陥れるという話がありますが、日本書紀では蘇我馬子をべた褒めしているので、蘇我馬子を貶めるという話は合わない感じがします。
もちろん日本書紀の記載内容が全て事実とは限りません。ただ、巷で言われている内容とは違っている事がありますので、その辺りが興味深いです。
石舞台へ訪れました際は、飛鳥時代の権力者・蘇我馬子がどんな人物だったのか想像してみてはいかがでしょうか。