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薬の町・宇陀。奈良県宇陀市松山地区
薬の町・宇陀へ行った時の話を書きます。最寄り駅は近鉄大阪線・榛原駅です。
榛原駅から江戸時代の街並みが残る松山地区まで距離がありますので、路線バスでの移動、もしくはレンタサイクルで電動自転車を借りての移動になります。
自由に動けるようレンタサイクルで電動自転車を借りました。
宇陀は古くから薬の町です。日本書紀の推古天皇の章に兎田の地(現在の宇陀)での薬猟の話があります。
薬といえば薬草を連想しそうですが、日本書紀の宇陀の薬狩の話では、薬草ではなく、若い鹿の角を採取する話です。鹿の角で薬ですと漢方薬を連想しそうですね。
日本書紀には豪族達が薬狩りした際、服装を冠位の色に合わせたと書いていますので、それぞれの豪族が色とりどりの服装で狩りを行ったのが想像できます。
そして薬の町でしたので宇陀発祥の製薬会社はいくつかあります。ロート製薬、ツムラ(旧津村順天堂)、アステラス製薬(旧藤沢薬品)です。
松山地区を散策しますと城下町という雰囲気があります。
松山地区は豊臣秀吉の時代に城下町として形成されてきました。
1615年、織田信長の次男・織田信雄が治めるようになり、宇陀松山藩となりました。元禄時代の1695年、事件が起こり織田氏転封で幕府領になり、織田関連の施設は壊されました。
ただ、物流の中継地点という立地条件がありました事から、幕府領になってからは町人の町として栄えました。
織田信長は有名ですが、その子供や子孫がどうなったかは、あまり知られていませんだけに、織田家のその後を辿るのも面白いかもしれないですね。
松山地区にあります宇陀市歴史文化館 薬の館に入ってみる事にしました。
薬の館は薬問屋を商っていた細川家住宅を改修した歴史文化館です。
薬問屋の看板、そして薬の看板広告などの展示がありました。人の目を引くような看板広告もありました。
ロート製薬、ツムラ。創業者が兄弟だった事を初めて知りました。兄の津村重舎がツムラ、弟の山田安民がロート製薬です。苗字は違いますが実の兄弟です。
飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂の掛け軸がありました。柿本人麻呂が宇陀を訪れた時に「ひむがしの野にかぎろいのたつ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」を詠みました。宇陀と縁がある人物です。薬とは関係なさそうですが。
宇陀散策をする事で薬の歴史を垣間見る事ができました。