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紫式部ゆかりの地・武生。福井県越前市

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 3月9日、紫式部ゆかりの地・武生へ行きました。
 武生駅には紫式部ゆかりの地の看板がありました。

 紫式部の父親・藤原為時が越前守として武生に赴任した時、紫式部も同行し1年余り武生で過ごしていた事にあります。
 当時、越前国の国府(官庁)があったのが武生でした。今でいう県庁所在地だったわけです。越前国の国府の長官(越前守)として赴任したのです。
 しかも越前国は大国です。越前守となれば莫大な収入が得られる事から、誰もがなりがたる役職でした。

 ところで世渡り下手で官位から遠ざかっていた藤原為時が越前守になれたのは漢文に長けていたという話があります。
 996年、当初は淡路守に任命されました。この時、藤原為時は「俺は、これだけ頑張っているのに小国かよ」と言わんばかりの漢詩を書いて、一条天皇に送りました。
 見事な漢詩だったため、一条天皇は感激し藤原為時を越前守に任命する事にしました。ところで藤原為時が越前守に任命されたのは漢文に長けていたからです。当時、宋の商人が越前に滞在したため交渉役として漢文ができる人材が必要でした。そこで漢文に長けていた藤原為時が任命されたというわけです。
 どこまで本当でどこからが脚色なのかは不明ですが、事実だとしたら「芸は身を助ける」の話になりますね。

 平安時代は菅原道真が遣唐使を廃止してから海外との交流がなくなったため国風文化が花開いたと言われています。しかし実際には国家間の交流はなくなっても民間での交易は行われていましたし、宋との交易があったため、源氏物語でも舶来品の「唐物」が出てきます。そして貿易の拠点が博多や敦賀でした。

 ところで既に越前守として内定していた源国盛がいました。しかし、突然の内定取り消しになったため、源国盛はショックで病気になってしまいました。その後、播磨守(播磨国も大国)に任命されましたが、赴任する事なく亡くなりました。

 武生駅から大河ドラマ館までの送迎バスがありました。私が行った時は無料で乗れましたが、3月16日以降は有料です。
 バスの時間が合わずバスに乗れなくても武生駅から徒歩15分から20分の距離なので歩いて行く事も可能です。

 武生中央公園にあります大河ドラマ館に到着しました。早速、中に入ってみる事にしました。
 ドラマの展示がありました。岸谷五朗さん演じる藤原為時(紫式部の父親)、吉高由里子さん演じる主人公・まひろ(紫式部)、柄本佑さん演じる藤原道長の像が並んでいました。

 大河ドラマでは若き紫式部と藤原道長の恋愛ドラマになっています。しかも大河ドラマでは2人は幼い頃に出会った設定になっています。
 しかし、実際は2人の身分が違っていたため、幼い頃や若い頃に出会う可能性も知り合う可能性もゼロに近かったです。

 紫式部は20歳以上年上の藤原宣孝と結婚したと言われています。少し遠い親戚です。当時は身分が釣り合った者同士の結婚のため貴族社会では親戚同士の結婚が多くなります。
 紫基部は20代半ばで結婚したと言われています。おっと、淡々と描いていますが、当時、女性が20代半ばで結婚するのは晩婚でした。10代半ばで結婚するのは普通でした。時代の違いを感じますね。
 閑話休題。藤原宣孝は少なくとも40代になります。ただ、この時代、医学が発達していませんでしたので、30代、40代で亡くなるのは珍しくありませんでした。40歳で長寿の祝いをしていた時代です。
 紫式部と藤原宣孝の結婚生活は3年で終わります。藤原宣孝が亡くなるからです。庇護者がいなくなった紫式部。食べていくため宮中に勤める事になりました。

 源氏物語はいつから書き始めたのか。本当の所はわかっていませんが、宮中に勤め始めた後と言われています。
 ある日、滋賀県大津市の石山寺へ参拝に行きました。石山寺滞在中に源氏物語を着想し書き始めました。その後、貴族社会で源氏物語が読まれるようになり、藤原道長の目にも止まり、藤原道長の娘・中宮彰子の家庭教師に抜擢されます。

 大河ドラマでは、幼少期に出会い、青年時代には恋愛関係(?)になっていた2人になっています。ここから先はどう描くのか。その後、お互い別々の人と結婚したが、紫式部は夫の先立たれた後、元カレの藤原道長に「俺の娘の家庭教師になってくれ」と言う筋書きになりそうですが、その辺りをどう描くのか興味津々ですね。

 ドラマ館を出た後は紫式部公園へ向かいました。武生中央公園から徒歩10分ちょっとです。
 武生中央公園から紫式部公園までは「ふるさとを偲ぶ散歩道」が整備されています。散歩道を歩いていますと与謝野鉄幹・与謝野晶子の歌碑がありました。
 2人が北陸旅行した時、紫式部ゆかりの地として訪れていました。

 紫式部公園には黄金の紫式部の像があります。黄金の像の紫式部の視線の先は日野山です。越前富士とも呼ばれる山です。雪化粧が綺麗でした。
 紫式部公園の側にあります紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)に入りました。

 紫式部の部屋があり御簾(みす)の中に紫式部の人形が置かれていました。当時の雰囲気が出ていますね。
 藤原為時が赴任するために越前に向かう様子の模型がありました。まるで大名行列のようでした。貴族としては身分が低いですが、大国の長官(越前守)です。庶民からすると雲の上の人です。
 京都から偉い人がやってきたという感じです。

 帰り道、本興寺へ立ち寄りました。越前国の国府があったと言われる場所で、近年の発掘調査で有力候補になっています。
 境内には紫式部が植えたとされる梅がありました。綺麗に咲いていました。天気が良ければ綺麗さが伝わる写真が撮れたのですが、生憎、ミゾレ交じりの雨でした。

 余談になりますが紫式部の存在を示す史料に残した人物がいます。秋山竜次さん演じる藤原実資です。
 大河ドラマでは、藤原実資が食事をしながら妻に不平不満を言っていると、妻が「それ日記に書けば」と言われる場面が時々出てきます。
 その日記は小右記と呼ばれる物で「藤原為時の娘の記述」があります。藤原実資は切れ者で筋が通っていた人物で、権力者・藤原道長にも手厳しい人物でした。しかし、藤原道長は藤原実資を排斥する事なく、一目置いた人物でした。おそらく敵にするより味方にした方が賢いと判断したかもしれないですね。
 藤原実資は90歳まで生きた人物で、小右記は約50年分の記録が詰まっています。平安時代中期の様子を知る貴重な史料になっています。

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