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神戸事件(神戸版・生麦事件)

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 生麦事件。大河ドラマ「西郷どん」でも出てきましたが、島津久光の行列にイギリス商人が横切り、薩摩藩士が切りつけた事件です。
 同じような事件が、1868年の初めに、神戸・三宮でも起こりました。

 三宮の南側に外国人居留地がありました。今は旧・居留地と呼ばれています。
 備前藩の行列を横切ったフランス兵に対して、無礼者と言わんばかりに、備前藩士の滝善三郎がフランス兵を制止させる際、軽症を負わせた上、小競り合いになったため、威嚇射撃しました。
 そのため欧米列強は激怒し、軍事的に居留地を占拠しました。一触即発の事態になりました。

 この時、解決に奔走したのが、後の初代兵庫県知事で、初代首相になる伊藤博文でした。
 滝善三郎は武士として当然の行為をしたという日本側の立場と、滝善三郎を処刑しろという欧米列強の立場がありました。

 交渉の末、明治政府は、滝善三郎の切腹という形で欧米の要求を呑んで、事件を収束しました。
 この時、伊藤博文は、外国領事などを切腹の場に招き、武士の責任の取り方を見せました。

 この事件は、明治政府が最初に直面した外国事案でした。

 この頃、大政奉還が終わっていましたが、欧米列強にとって、日本を統治する政府は、幕府なのか新政府なのかが明確ではありませんでした。
 明治政府が対応したため、外国に対して、日本での政権交代が行われた事を示しました。
 そして、あまり目立たなかった伊藤博文が、問題解決に奔走したため、伊藤博文の才覚が見出され、明治政府内で頭角を現していきます。

 色々な意味で、重要な事件だったんですね。

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