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高麗(こま)寺跡。渡来人の名残り。京都府木津川市

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 10月13日、高麗(こま)寺跡を通りました。
 なぜ「こうらい」ではなく「こま」と読むのか。2つには違いがあります。

 高麗(こうらい)以前の朝鮮半島は、百済、新羅、高句麗と3ヶ国ありました。
 高句麗の事を「高麗」(こま)と言っていました。そして、なぜ高句麗を短縮して「高麗」と表記したのか。
 隋や唐の書では「高麗」と表記しているようで、短縮形として「高麗」を使っていたようです。知らないと混乱しそうですね。

 ところで高麗寺付近の地名は「狛」(こま)です。昨日のブログで上狛の茶問屋街を紹介しましたが、「狛」という場所です。
 そして、高句麗の別名が「狛」です。「狛」は民族を指す名称のようです。
 奈良時代、この辺りに高句麗から来た渡来人・狛氏が住んでいた場所でした。狛氏が創建したお寺が高麗寺でした。
 渡来人・狛氏の名残りが、今も「上狛」や「下狛」といった地名として残っています。

 お寺の跡地から、ちょっとした歴史を知る事ができるので面白いですね。

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