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明治以前、武家社会は夫婦別姓だった
近年、選択的夫婦別姓の賛否の議論が出ています。
ところで日本史の教科書を見直しますと、武家社会が夫婦別姓だった事がわかります。
源頼朝の妻は源政子ではなく北条政子。足利義政の妻は足利冨子ではなく日野冨子だからです。
実際、明治9年に武家の伝統にのっとって太政官布告「夫婦別氏」が発布されます。
しかし、庶民の間では、夫婦同姓が習慣となっていたため、あまり浸透しませんでした。
明治31年の民法制定の際、夫婦同姓になりました。
庶民の声だけでなく、国民管理のために同姓にしたと言われています。
あと、西洋では夫婦同姓だったため、それに影響されたとも言われています。
ところで、よく徳川幕府は庶民に苗字を禁止していたと言われています。
しかし、実際には庶民の間でも苗字を持っていました。農民だった二宮金次郎、商人だった伊能忠敬。
名前だけですと、どこの誰かを特定するのが難しいため、苗字を持っていました。
明治以前は、武家は夫婦別姓、庶民は夫婦同姓だった事がうかがえますね。