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酒の席での失言。幕末の日本を救った高杉晋作
酒に酔ってつい本音を漏らす。そんな具合で、有名人の失言などがニュースで話題になる事があります。
ところで酒に酔って失言といえば、高杉晋作が挙げられます。
「身分に関係なく志ある者」という事で、奇兵隊が結成されました。身分に関係なく能力で重視の人物と思われがちです。
しかし、上級武士だった高杉晋作は、ある酒の席で「俺はセレブだ。お前らは・・・」という発言をして、総スカンを食らった逸話があります
でも、誤解のないように書きますと、高杉晋作を貶めるために、このブログを書いたわけではありません。
高杉晋作の名誉のために、彼が日本を救った話を書きます。馬関戦争の処理に当たった話です。
1863年、長州藩は攘夷(外国打ち払い)を実行すべく、関門海峡を封鎖し、フランス、アメリカ、オランダの船舶に砲弾を打ちました。この時は、反撃に遭い、長州藩は敗れました。
1864年、長州に報復すべく、フランス、アメリカ、オランダと、なぜかイギリスまでが便乗して、長州に艦隊を送りを攻撃しました。馬関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)です。長州藩は大敗しました。
この時、イギリスとの交渉を任されたのが高杉晋作でした。長州藩家老・宍戸刑馬と名乗っていました。
高杉晋作は尊大な態度で交渉に臨み、イギリスから賠償金を要求されると、「幕府から攘夷をやれと言われたからやっただけだ。請求するなら幕府にしろ」と突っぱね、その上で「長州の民全員でゲリラ戦を起こすぞ」と脅しました。そしてイギリスから彦島の租借を要求されると、古事記を暗唱し、周囲を仰天させました。迫力でイギリスからの飲めない要求を突っぱねました。
後にイギリスの外交官・通訳だったアーネスト・サトーは「彼はルシフェル(魔王)のようだった」と語っています。
過去に高杉晋作は、幕府の調査団の一員として選ばれ、上海へ行き、アヘン戦争で敗れた清の実態を見て、植民地支配の悲惨な姿を目の当たりにしました。
イギリスの恐ろしさがわかった上で、日本を守るべく、見事にイギリスの要求を突っぱねる交渉力には驚かされますね。
ちなみにイギリス、フランス、オランダ、アメリカへの賠償金は幕府が払いました。でも、払いきれなかったため、明治政府が引き続き払いました。