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日本で最初にルイ・ヴィトンを買ったのは板垣退助。

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 フランスの高級ブランドで有名なルイ・ヴィトン。このブランドを日本人で最初に購入した人は板垣退助と言われています。
 顧客名簿に板垣退助の名前がある事や、板垣退助が購入した鞄のシリアル番号と顧客名簿のシリアル番号が一致しているからです。
 100年以上前の顧客名簿が残っているとは凄いですね。

 板垣退助といえば、明治初期は政府要人でしたが、意見対立から下野し、自由民権運動をはじめました。
 そして暴漢に刺された際「板垣死すとも自由は死せず」という名言を言いました。学校の歴史で習いましたですね。

 ところで板垣退助がフランスへ行ったのは、その1年後でした。
 そしてルイヴィトンを購入して大喜びでシャンゼリゼ通りを歩いていたかもしれません。

 板垣退助が洋行したのには、裏事情がありました。
 板垣退助はフランスかぶれでした。本の知識だけで「フランスは自由・平等の国で素晴らしい」と思い、自由民権運動を行っていました。
 しかし、明治政府の要人は、フランスかぶれをした板垣に対して「フランスの現実を見ろ」と思っていました。

 そこで政府要人だった井上馨が斡旋して、政商だったある財閥のお金で板垣退助と後藤象二郎の洋行しました。
 板垣退助が党首を務めていた自由党内では「うちの党首(板垣)は買収された」と大騒ぎになりました。

 板垣退助は帰国後、政府と対立するのではなく、協調路線をとるようになりました。
 自由民権運動の中の急進派が起こした加波山事件(爆弾テロ未遂事件)などをキッカケに、板垣退助は自由党を解散しました。

 板垣退助はフランスへ行って、フランスの現実を見ました。
 今でもフランスでは、フランス革命の成功体験(?)から、何か政府に不満がありますと、デモが起き、暴徒化しています。
 当時は、もっと過激で、板垣退助がフランスへ行く少し前に起こったパリ・コミューン(市民蜂起)では、セーヌ川が3日間、血で染まるぐらいの犠牲者が出ました。
 日本人の想像を絶するフランス人の発想を目の当たりにして、日本も同じ事になってはいけないと考え、軌道修正したと思われます。

 「買収」と疑われても仕方ないにも関わらず、それを覚悟で、現実のフランスを見に行った板垣退助と後藤象二郎。
 野党党首を叩き潰すのではなく「現実を見てこい」と言って、費用を出してまで送り出す明治政府。

 どちらも本当に日本を良くしようとしていた表れですね。

 板垣退助が岐阜で暴漢に刺された際、診察した医師は後藤新平です。のちの有名な政治家です。
 爆弾テロ未遂事件の加波山事件をキッカケに「明治十七年太政官布告第三十二号(爆発物取締罰則)」という法律ができました。現在でも有効です。

 ちょっとした事から日本の近代史が垣間見えるので面白いですね。

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