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後鳥羽上皇、承久の乱、後高倉院
6月22日、滋賀県大津市にあります瀬田の唐橋を渡りました。
以前、ブログで「俵籐太のムカデ退治」を紹介しました。
この瀬田の唐橋は、後鳥羽上皇が起こした承久の乱で主戦場になった場所です。
しかし、鎌倉幕府軍に破れ、後鳥羽上皇をはじめ、上皇3人が島流しになりました。
4歳だった仲恭天皇は幕府の意向で退位させられました。
後堀川天皇が10歳で即位しました。
しかし、当時の朝廷の事実上の長だった「治天の君」(筆頭・上皇)が不在でした。この時代は院政は必要不可欠な存在になっていました。
そのため後堀川天皇の父親の守貞親王が上皇(後高倉院)になりました。史上初の天皇にならずに上皇になるという異例の事態が起こりました。
天皇にならなくても上皇になれるという事が、江戸時代の光格天皇の尊号一件につながっています。
断片的に歴史上の出来事を覚えると、暗記になって辛いですが、つなげていきますと、物語になりますので、歴史が面白く感じますね。
後鳥羽上皇は承久の乱以外にも、色々、取り上げることができますが、それは後日のお楽しみという事にします。