Blog

平安貴族の女性にとっての理想の男性は光源氏。暴力を振るわない優しい男性だったから

ブログ

 10月13日、滋賀県大津市の石山寺の前を通りました。石山寺は、紫式部が源氏物語を着想した場所です。
 そのため大津市は源氏物語の発祥の地になり、所々に紫式部の絵があったりします。

 源氏物語の主人公の光源氏。色々な女性を口説くチャラ男の印象があります。
 しかし、平安貴族の女性の視点で見ますと理想の貴公子でした。
 その理由は暴力を振るわない優しい男性だったからです。

 「殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語」(繁田 信一:柏書房)を読んでみますと、驚く事がわかります。
 平安貴族は軟弱だと思われがちですが、実際の所、暴力沙汰が絶えない血の気の多い人達でした。
 些細な事から取っ組み合いの喧嘩になった事や、主人が大恥かかされたから、従者が相手の家に殴り込みする事など日常茶飯事だった上、女性同士も殴り合いの喧嘩もありました。
 時の権力者の藤原道長や息子や孫達の横暴ぶりから、主人の位の高さを利用して威張り散らす従者などが描かれています。
 平安時代は、本当に「平安」だったのかと思ってしまうぐらいです。

 紫式部は、中宮彰子に仕えていました。中宮彰子は藤原道長の娘で一条天皇の皇后です。
 周囲の乱暴な貴族を見ながら「こんな優しい貴公子がいて欲しい」と思っていたかもしれないですね。

 ところで「殴りあう貴族たち」の本は、右大臣までなった藤原実資の日記「小右記」に基づいて書かれています。
 小右記の現代語訳の本を見みますと、貴族達の暴力沙汰をはじめ、平安時代の様子が描かれていました。

 藤原実資は、時の権力者・藤原道長や才女の紫式部が一目を置く賢者でした。
 そして右大臣になっただけでなく、頻繁に日記が書かれています上、90歳の長寿を全うしました。
 長生きした分、書かれている日記の量が多いので、平安時代の様子が伝わってくる貴重な資料になっています。

 平安貴族は血の気が多かった。そう考えながら源氏物語を読み直してみますと、面白いかもしれないですね。

Share

Category

Archive

Recent posts