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古都大津の東海道散策。いにしえの神社から大津事件まで。滋賀県大津市

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 10月13日、滋賀県大津市に行きました。
 大津は、天智天皇が667年に都を飛鳥から大津に移しました。そのため大津の路地を散策しますと、古都の雰囲気を味わう事ができます。

 今回、旧・東海道を散策していますと、古い神社を発見しました。
 和田神社です。675年に創建され、686年から八大龍王社と呼ばれ、仁明天皇の時代(825年)に正霊天王社になり、明治元年(1868年)、膳所藩主の命により和田神社という名称になりました。「和田」は近くの和田の浜に由来します。
 由緒だけでも歴史を感じますが、それだけではありません。本殿が鎌倉時代に作られた物です。
 そして和田神社の正門は、かつての膳所藩の藩校の門を使っています。

 和田神社を後にして散策していますと、石坐(いわい)神社を発見しました。
 669年、天智天皇が琵琶湖の神さんを祀った事にはじまる神社です。まさに古都・大津に関する神社ですね。
 本殿は鎌倉時代(1266年)につくられた物です。750年前の建物が残っていますので、当時の建築技術の高さを感じさせますね。

 散策を続けますと、今度は源義仲と松尾芭蕉の墓があります義仲(ぎちゅう)寺を発見しました。
 源義仲といえば、鎌倉幕府を開いた源頼朝の従兄弟にあたる人物です。以仁王の命により兵を引き連れ京都へ行き、後白河上皇を幽閉しました。
 その後、粟津の戦いで源義仲は討ち死にしました。そして義仲を葬った場所が義仲寺になります。
 粟津は現在の大津市にあり、義仲寺も粟津の近くにあります。源義仲の墓だけでなく松尾芭蕉の墓もありました。

 そして最後に明治24年(1891年)に起こった大津事件の場所へ行きました。そこには碑がありました。
 大津事件とはロシアの皇太子ニコライが大津を通っていた時、巡査の津田三蔵に切りつけられた事件です。湖南事件とも呼ばれています。
 松方内閣は血相を変えて対応した事件です。そして日本の司法の独立性が試された事件でもありました。

 大津事件については外務省 外交資料館の検索システムで「湖南事件」で検索しますと資料がありました。ただ、ネット閲覧ではなく、取り寄せが必要なようです。
 じっくり読んだ上で、大津事件を取り上げた方が、当時の様子を紹介する事ができますので、大津事件は別の機会に取り上げたいと思います。

 古都といえば奈良・京都ばかりに目がいきがちですが、大津散策も歴史を感じる事ができました。

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