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キリスト教の伝来は奈良時代だったかもしれない話
学校の歴史で、キリスト教の伝来は戦国時代と習います。
しかし、実際には奈良時代にはキリスト教が入っていたという説が有力になってきています。
ところで西暦700年代には唐では既にキリスト教徒がいました。
キリスト教の宗派の1つで、ネストリウス派と呼ばれる宗派です。景教とも言います。
313年のミラノ勅令で、ローマ帝国でキリスト教が公認になりました。
324年、キリスト教の教義を決めるニケーア公会議がローマ皇帝主催で行われました。
イエス・キリストが亡くなって300年が経過し、イエスの教えを生で聞いた人は誰もいません。
色々な解釈が生まれ、宗派もできていました。ニケーア公会議で、イエスに神格性があるかどうかで大論争になりました。
そして神格性があるという結論になりました。「神と子と精霊」の三位一体です。神格性を否定したネストリウス派、グノーシス派等は異端扱いされました。
ネストリウス派の異端認定は、一旦は取り消されたものの、その後もイエスの神格性について論争が続き、最終的には異端扱いされ、ローマ帝国内では迫害されるようになりました。
そのためネストリウス派は迫害から逃れるべく、彼らの中には東方へ逃げる事になりました。ペルシャを経由して中国大陸まで伝わりました。
今の感覚ですとペルシャ(イラン)はイスラム教ですが、当時はイスラム教はまだありませんでした。そのためペルシャでネストリウス派は広がりました。
そして600年代に唐に伝わり都・長安では既にネストリウス派が存在していました。中国大陸では景教と呼ばれて、長安で流行しました。
ただ、中国で展開していましたネストリウス派(景教)は、宋時代に衰退しはじめ、今では跡形もなくなりました。
700年代の日本では都があった平城京には外国人が闊歩していたといわれています。中国系、インド系、ペルシャ系などなどです。
そのためネストリウス派(景教)の信者が日本に来ていた可能性は十分考えられます上、布教活動をしていた可能性も捨て切れません。
もし、ネストリウス派(景教)が日本で布教活動していた確固たる証拠が出てきますと、歴史の教科書が大きく書き変わりそうですね。