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京都の「洛」の由来は、中国の洛陽から来ている話

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 京都市の中心部の事を洛中、京都へ行く事を上洛と言います。この「洛」ですが、中国の都市・洛陽に由来しています。
 桓武天皇が平安遷都を行い、平安京を建設しました。いつの時代も外国かぶれの人はいます。当時は唐かぶれの人が多く、唐風の名前をつける事が多々ありました。

 平安京の西側(右京)を長安城、東側(左京)を洛陽城という名称をつけました。当時、唐の都は長安。副都は洛陽でした。

 平安京は日本国の威信をかけて建設されました。諸外国に対して「我々は唐と対等な国だ」と言わんばかりに、見栄っ張りな巨大都市を造りました。
 そのため必要以上の大きさの都市ができてしまいました。

 平安京ですが問題点が色々ありました。右京は桂川の氾濫の被害に遭いやすい上、水はけが悪いため、誰も好んで住もうとはしませんでした。
 右京が寂れて、実質的に左京だけになり、洛陽城という名称が平安京を指す言葉になりました。そのため平安京の事を「洛中」と呼ぶようになりました。

 ところで地図は北側が上になっています。そのため地図で見ると、左側が右京、右側が左京になっています。奇妙な感じがします。
 それは右、左をどこを基準にしているかの違いがあるためです。右京、左京は、南を向いて座っている天皇から見て、右の京、左の京になります。
 そのため天皇の視点とは逆さになっています地図ですと、左側が右京、右側が左京になっています。

 天皇が南側に座るのも唐の皇帝の真似をしました。教えを受ける事を「指南」と言いますが、皇帝が家来に対して指示する方向なので、指南という単語ができました。

 ちょっとした事でも由来を知ると面白いですね。

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