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嵯峨天皇のゆかりの地・大覚寺。京都市右京区嵯峨(嵐山)

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 2月11日、嵯峨天皇のゆかりの地・大覚寺へ行きました。
 元々、大覚寺は、嵯峨天皇が上皇になった際、この地に院(御所)を置きました。
 嵯峨上皇崩御の後、嵯峨院が改装され、大覚寺になりました。

 大覚寺の建物は過去の火災や戦乱のため、現在ある建物は江戸時代のものになります。
 境内は撮影禁止のため、撮影可能な外側だけを撮影しました。そして境内の池は、日本最古の人工の庭池です。

 嵯峨天皇は、嵯峨の地をこよなく愛しました。そのため嵯峨天皇の贈り名は、地名の「嵯峨」に由来します。

 嵯峨天皇は809年に践祚された1200年前の天皇です。
 嵯峨天皇は教科書では、あまり大きく取り上げられない天皇です。しかし、嵯峨天皇を知れば、歴史がつながって見えるようになります。

 嵯峨天皇は、桓武天皇の息子になります。兄は平城天皇でした。
 薬子の変があったのは嵯峨天皇の時代です。兄の平城上皇と対立した事件です。歴史上最初の征夷大将軍・坂上田村麻呂が出動しました
 この事件をきっかけに藤原四家のうち、三家が没落していき、北家が残り、後々、絶大な力を持つようになりました。
 北家は平安時代の摂関政治の藤原家になっていきます。

 そして嵯峨天皇は書道の達人で三筆のうちの1人です。あとの2人は弘法大師・空海と橘逸勢です。
 その弘法大師に高野山開祖の勅許を出したのも嵯峨天皇です。
 嵯峨天皇の息子で臣籍降下したのが源融です。源氏物語の光源氏のモデルとされている人物です。

 嵯峨天皇の崩御の後、お寺として改装され、大覚寺になりました。
 大覚寺は、後に亀山天皇の皇統の後宇多天皇が大覚寺に住んだことから、大覚寺統と呼ばれるようになりました。後の南朝です。
 北朝の前身は後深草天皇の皇統の持明院統です。

 嵯峨天皇の事を調べますと、色々出てきます上、暗記していた事が結びついてきますので、歴史が面白い感じられますね。

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