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日本唯一の三柱鳥居、太秦の由来の神社。蚕の社。京都市右京区太秦

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 2月11日、京都の映画村に近い太秦を散策しました。
 太秦には蚕の社(正式名称:木嶋坐天照御魂神社)があり、京都市内で相当古い神社の1つとなっています。正式名称よりも蚕の社が知られています。
 京福電鉄嵐山線(嵐電)の駅名も「蚕の社」になっています。

 「蚕の社」という名前の通り、蚕や絹と深い関係があります神社です。
 境内にあります看板の説明ですと、雄略天皇の時代、中国大陸の呉国から織物技術を持った秦氏を、この地に住まわせて養蚕と絹織物の生産がはじまったとされています。ちなみに「呉服」は、呉の国の衣服が由来です。
 雄略天皇の時代なので1500年以上も前の話ですね。渡来人の力を借りて日本を発展させようとしたのは、明治初期のお雇い外国人と同じですね。
 その後、秦氏は養蚕産業をもたらした功績により、天皇から「兎豆麻佐」(うずまさ)という姓を賜ったとされています。
 「兎豆麻佐」が時代を経て「太秦」になったとされています。秦氏の名残りですね。

 この神社は三つの鳥居が組み合わさった三柱鳥居があります。神秘的なだけに、何やらパワースポットを感じさせますね。
 境内にあります説明を読みますと、一説にはキリスト教の一派の景教(ネストリウス派)の遺物とも言われています。
 ネストリウス派といえば、三位一体説を否定した宗派で、5世紀のカルケドン公会議で異端扱いされるようになり、迫害を逃れて、東へ行き、唐までたどり着きました。平城京の時代は、ネストリウス派の人達が日本にもいたとされていますだけに、ネストリウス派の遺物でも不思議ではないですね。

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