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4月13日は喫茶店の日。「珈琲」という字は津山発。

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 明治21年(1888年)4月13日に、日本初の喫茶店「可否茶館」が東京の上野に開業しました。
 文明開化と共に、生活の中にコーヒーが浸透しはじめようとした時期ですね。

 ところでコーヒーを漢字で書きますと「珈琲」となります。この字を考えたのは美作(現:岡山県津山市)の津山藩の医者・宇田川榕菴が考えた物です。
 津山は洋学が盛んな地でした。医者を中心に洋学を学んでいました。同じ津山藩の箕作阮甫も医者で、ペリー来航時のアメリカ大統領の親書を翻訳したりしました。東京大学の前身の教育機関・蕃書調所の設立に関わりました。

 医者と洋学。江戸時代後期、医者といえば病気治療だけでなく、何でも知っている知識人扱いでした。
 幕末に非業の死を遂げた福井藩の橋本左内も医者ですし、長州藩の凄腕軍師・大村益次郎も医者でした。
 「お前は医者だから蒸気船を作れるだろ」というノリです。実際、宇和島藩は大村益次郎に対して「医者だから技術指導できるだろう」と言わんばかりに技術指導を要請し、大村益次郎もそれに応えました。
 宇和島藩の場合、提灯屋の嘉藏に「細工が得意だから蒸気船を組み立ててくれ」という無茶苦茶なことを依頼したぐらいなので、無茶ぶりそのものですね。

 珈琲から色々な事が見えてきますね。

 以前、津山へ行った時の写真を掲載しようと思いましたが、見つかりませんでした。見つけ次第、掲載します。

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