Blog

善立寺。蓮如が京都から逃げた場所。滋賀県守山市金森。

ブログ

 先週、滋賀県大津市堅田で浄土真宗の中興の祖・蓮如が再起をはかった場所を紹介しました。
 1465年の寛正の法難が起こりました。比叡山に睨まれ、本願寺が取り壊された事件です。
 そして蓮如は京都を追われ、最初に金森の地に身を寄せました。

 蓮如の弟子・道西が金森の地に善立寺(ぜんりゅうじ)を建てていました。
 蓮如が京都を追われた時、道西の招きで、蓮如は善立寺に身を寄せました。
 3年間、この地に滞在し、浄土真宗を広めていきました。

 浄土真宗といえば、一向一揆を連想したり、石山本願寺で織田信長と10年も渡る戦いをする凄い勢力だと思いそうですが、蓮如が本願寺の建て直しを行い始めた頃は、まだまだ弱く、比叡山に睨まれたら大変な事になっていました。
 本願寺が強烈な勢力を持つには、100年後になります。

 さて、善立寺には親鸞直筆の文書、蓮如直筆の文書などの文化財があります。ただし、文化財を見るには予約が必要になりますので、ご注意してください。
 境内を見ますと、蓮如像があります。
 灯篭がありました。猪目のデザインです。ハートマークそっくりなので、現代風に思いそうですが、猪目のデザインです。
 そして「チコちゃんネタ」の張り紙もありました。蓮如に「ボーとせずに念仏を唱えなさい」といわれそうですね。

 ところで金森の地を中心に、この地方で浄土真宗が広がりました。日本で最初に一向一揆が起こった場所とも言われています。
 1466年、浄土真宗の門徒と比叡山との戦いです。金森合戦といわれています。

 それから100年後の1571年、織田信長と本願寺との対決もありました。この時は織田信長が勝利を収めました。
 その後、荒廃したこの地の復興策として、織田信長は、金森の住人に対して、楽市楽座を許可する朱印状を与えました。
 楽市楽座をきっかけに金森の地は繁栄し、江戸時代には繁栄ぶりが記録に残っています。
 織田信長の朱印状も善立寺で大事に保管されています。

 のんびり歴史散策するのはお勧めの場所です。

Share

Category

Archive

Recent posts