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本福寺。蓮如が再起をはかった場所。滋賀県大津市堅田。
蓮如は浄土真宗の八代目・宗主で、浄土真宗の中興の祖と言われています。
蓮如の再起を図った場所として堅田が上げられます。そこで今日も堅田の紹介をします。
堅田の街を散策していますと本福寺があります。
このお寺は南北朝時代に、善道という神職が創建したと言われています。神社の宮司がお寺を創建するという神仏習合の中世・日本らしい出来事です。
この善道は覚如に帰依して本願寺のお寺になったと言われています。
余談ですが、覚如は親鸞のひ孫で3代目・宗主になります。
元々、親鸞は新しい教団・本願寺を立ち上げたという意識は全くありませんでした。あくまでも法然の弟子で、法然の教えを広めていました。
しかし覚如の代になった時、教団化を行いました。本願寺の誕生です。しかし、教団化に反発した門徒達は、資金的援助などを中止し、衰退の道を歩みました。
それから100年以上経ち、蓮如の時代になりました。蓮如が「親鸞の時代に回帰」を唱え、本願寺の復興を行いました。
すると比叡山延暦寺から睨まれ、京都を追われる身になりました。一度、金森(現在・滋賀県守山市金森)へ行き、その後、このお寺に身を寄せ拠点とした。
境内には蓮如の銅像がありました。蓮如が愛した梅の木、そして蓮如堂もありました。
ところで、このお寺の11代目の住持・明式は、松尾芭蕉の弟子でした。俳号は「千那」でした。
松尾芭蕉をはじめて大津に招いた人物でもあります。次の代の住持も俳人で角上でした。
そのため「芭蕉翁、千那翁、角上翁」と刻まれた石碑もありました。