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一休さんが修行した祥瑞寺。滋賀県大津市堅田。

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 一休宗純。とんちの一休というアニメを連想してしまいがちですが、青年になった時の一休の話を書きます。
 22歳の一休は、祥瑞寺の華叟禅師という高僧の下で修行したいと考え、門を叩きました。
 最初は断られましたが、粘りに粘りました。ついに華叟禅師が「こいつはただものではない。許す」と言って、一休を弟子にしました。
 1415年の事です。偶然にも、この時は浄土真宗の中興の祖・蓮如が生まれた年です。蓮如は京都を追われた時、最初に逃げた場所が堅田でした。一休と蓮如は宗派は異なりますが、何か偶然を感じますね。

 当時の堅田は交通の要所だけでなく、京都の下加茂神社の御厨(みくりや)でした。
 御膳料として鮮魚を奉納する代わりに、住民達は漁業権だけでなく、各種役務の免除など特権を受けていました。
 そのため財政的に豊かでした。戦国時代の堺といった感じの場所です。
 煩悩が多い所のように思えますが、そこで煩悩を断ち切るのは、山にこもるよりも大変かもしれないですね。

 風光明媚な場所ですが、修行中の一休にとって癒しになったのか、眼中になかったのかは、今となっては定かではありません。

 ところで松尾芭蕉が1690年に、この祥瑞寺を訪れました。
 この時に歌った詩の石碑がありました。「朝茶飲む 僧静かなり 菊の花」です。
 朝のお勤めを終えた僧侶がお茶を飲んでいる姿が、静かな雰囲気を漂わせているといった感じで松雄芭蕉が詩を読んだと看板に書いていました。
 俳句の心得のない私には、この価値はわかりません。

 堅田の歴史、そして日本史の一部分が垣間見えるお寺ですね。

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