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山科本願寺跡地と蓮如上人御廟所。京都市山科区

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 先週のブログで京都から追われた蓮如の足跡を書きました。
 今日は本願寺の再興し、蓮如が晩年すごした山科本願寺について書くことにします。

 1478年から6年かけて山科の地に本願寺が建てられました。山科本願寺です。
 1489年、蓮如は息子の実如に門主の座を譲りました。この時、75歳でした。当時の75歳といえば長寿でした。
 写真にありますのは山科本願寺南殿跡で、蓮如は晩年を南殿で過ごしました。

 1499年、85歳で亡くなりました。親鸞の90歳には及びませんでしたが、それでも当時85歳まで生きるのは並大抵ではありませんでした。
 山科の地に蓮如のお墓・御廟があります。現在、東西本願寺が共同で管理しています。

 本願寺。今でこそ浄土真宗ですが、親鸞のひ孫の覚如が本願寺という寺を建立した時、比叡山青蓮院(天台宗)の傘下に入りました。
 当時は小さいお寺は、大きなお寺の傘下に入る事で保護してもらう代わりに、上納金を納めるという関係がありました。宗派が異なるも珍しくありませんでした。
 そのため本願寺は天台宗の要素を取り入れるようになりましたが、門主が蓮如になり、親鸞の教えを忠実に守るという原点回帰を行いました。
 ただ、本願寺が理由もなく青蓮院の傘下になったわけはないようです。親鸞が9歳の時に青蓮院で得度を受けました。本願寺とはゆかりのあるお寺になります。

 そして、蓮如は山科本願寺だけでなく、大阪にも宿坊を作りました。宿坊を中心に町が発展し寺内町となり、大阪の発展に礎になりました。

 山科本願寺ですが1532年に六角氏と法華宗徒の連合軍に攻撃され焼失しました。
 山科を追われた本願寺ですが、大阪にあった宿坊を石山本願寺にしました。今の大阪城がある場所です。

 蓮如の足跡や人生をたどりますと、中世日本史を垣間見ることができ、面白いですね。

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