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和気清麻呂を祀った和気神社。京都府八幡市。

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 3月14日、八幡市にあります和気神社へ行きました。
 道鏡の野望を打ち砕いた和気清麻呂を祀った神社です。
 この地以外には、和気清麻呂の出身地の岡山県備前市和気町にも和気神社があります。
 和気神社(岡山にあります和気神社のサイト)

 境内には狛犬ならぬ狛亥(こまイノシシ)がいました。
 この神社の看板には「激怒した道鏡が和気清麻呂の足を切断し、そのまま海に投げ入れました。そして漂着した先が宇佐で、猪の背中に乗って八幡宮へ行き、涙ながらに神に祈ると、足が生えてきた」という物語です。そのため狛犬ならぬ猪がいます。
 この話ですが、岡山の和気神社の説明書きの内容とは異なりますので、複数の猪伝説がありそうですね。
 岡山の和気神社の説明では「道鏡が激怒し大隅国へ流罪になった際、宇佐八幡宮に立ち寄った際、突然、イノシシが300頭表れ、お守りした」と書いています。
 ほかにも「足が衰えた時、イノシシに案内された霊泉に足を入れると、足が元通りになった」とあります。イノシシと縁がありますね。

 ちなみに和気清麻呂が猪に守られて宇佐八幡宮へ行った話は、後日本紀には書かれていません。

 宇佐八幡宮神託事件。
 一般的に言われています概略を簡単に書きますと、権力を振るっていました道鏡がいました。
 その部下が道鏡に忖度したのか「次の天皇は道鏡様という宇佐八幡宮のお告げがあります」と伝えました。
 そのお告げを称徳天皇に奏上した所、念のため宇佐八幡宮に確認するようにと命じ、和気清麻呂が派遣されました。
 しかし、和気清麻呂が宇和八幡宮に行きますと「臣下を君主にした事がない。皇位には皇統の人をたてよ」のお告げでした。
 正直に称徳天皇に報告。道鏡が天皇に就く可能性はなくなりました。激怒した道鏡は和気清麻呂を流罪にしました。
 しかし、称徳天皇が崩御しますと、道鏡は失脚し、和気清麻呂は名誉回復し、その後の桓武天皇の時代に活躍しました。

 以上が概略です。道鏡が一人悪者になっています。

 しかし後日本紀を読みますと、道鏡が天皇の地位を狙っていただけでは説明がつかない事があります。
 道鏡は宇佐へ出発する和気清麻呂に対して「俺が次期天皇になるお告げだ」と言ったと書いています。
 しかし、和気清麻呂が神託通り「臣下を君主にした事がない。皇位には皇統の人をたてよ」を称徳天皇に奏上しました所、怒ったのは道鏡だけではありませんでした。
 称徳天皇の詔で「清麻呂は姉と一緒に嘘の奏上をした」と書いています。
 称徳天皇は「私が寵愛している道鏡を次の天皇と考えていた。だが、反対のお告げになっている。そんなのデタラメだ」という怒りです。
 道鏡は激怒して和気清麻呂を流罪にしましたが、流罪にできたのも称徳天皇の意向があったと考えられます。
 称徳天皇の命によって和気清麻呂の名前が「清麻呂」から「穢麻呂」(きたなまろ)になってしまいました。
 称徳天皇が皇太子を決めないまま崩御しました。勝手な推測ですが、道鏡を皇太子にしたかったができなかった。でも、ほかの皇族を皇太子にする気はない。そんな意地があったのかもしれません。

 称徳天皇の道鏡への寵愛ぶりが度が過ぎている事がうかがえますね。
 称徳天皇の振る舞いがあったため、800年間、女性天皇が登場しませんでした。800年後の江戸時代に登場します女性天皇は明正天皇です。

 和気清麻呂は流罪になりましたが、称徳天皇の崩御後、呼び戻され、その後、出世していきました。
 桓武天皇の時代、平城京から長岡京に遷都しました。長岡京から平安遷都を提案したのが和気清麻呂です。

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