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交野天神社と桓武天皇。大阪府枚方市楠葉

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 3月14日、枚方にあります交野天神社へ行きました。
 3月18日のブログ(継体天皇が即位した樟葉宮。大阪府枚方市楠葉)で紹介しました樟葉宮があります神社です。

 交野天神社の正式な呼び方は「かたのあまつかみのやしろ」ですが、地元では「かたのてんじんじゃ」と呼んでいます。
 交野天神社の説明書きには、787年、桓武天皇が長岡京の南のこの地に、父親であります光仁天皇を天神(あまつかみ)として祀ったのが、この神社の起源とされています。

 この話は続日本紀に書かれています。
 続日本紀の延暦6年(787年)の11月5日、交野に天の神を祀ったと書いています。

 天の神。中国古代の宇宙の最高神・昊天上帝(こうてんじょうてい)の事です。
 中華皇帝は冬至の日に都の南の郊外の天壇において昊天上帝を祀ります。その儀式を郊祀といいます。
 延暦6年に日本の都が平城京から長岡京に遷っていました。
 そのため長岡京の南にあります交野の地で、中華皇帝に倣って郊祀を行ったといわれています。

 700年代、先進国だった唐の文化に憧れた皇族・貴族がいました上、遣唐使によって中華文化が入ってきていました。
 そのため、桓武天皇が唐の皇帝の儀式の真似をするのは不思議ではありませんでした。

 ただ、中華皇帝の儀式と異なる点として、桓武天皇自身ではなく大納言・藤原継縄にさせていた事。
 そして桓武天皇は昊天上帝だけを祀ったのではなく、父親の光仁天皇を昊天上帝と合祀した点にあります。

 その理由は続日本紀には書かれていません。知りたい部分ですが、資料がないため、真相は謎ですね。

 余談になりますが、長岡京が都だった時代は「何時代?」と問われると、考えてしまいそうですね。
 学校の歴史では平安京に遷都するまでが奈良時代。それ以降は平安京と習います。
 京都府長岡京市に都があっても「長岡時代」ではなく「奈良時代」です。不思議ですね。

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