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三木城攻めの時の秀吉本陣跡。兵庫県三木市
3月27日、三木へ行きました。
戦国時代、三木には別所がいました。豊臣秀吉による三木城攻めがあります。
織田信長の時代、播磨の覇権をめぐり毛利と対立しました。
中国地方の平定を任された豊臣秀吉。初期の頃に行った三木城攻めです。三木城の合戦とも言われています。
三木城攻めの時の秀吉の本陣跡へ行きました。
小高い山の上にありますため、山道を登りました。幸い整備されていますので歩きやすい上、歩いて15分ぐらいなので、山登りに慣れていなくても登れました。
盛り上がっている場所がありました。土塁跡です。
城跡巡りをされている方なら、すぐにわかるかもしれませんが、城跡の素人の私には、説明書きがあって、初めて土塁だと気づきます。丁寧な説明はありがたいですね。
頂上につきました時、三木市街の景色が見える場所がありました。三木城は三木市街にありますので、上から三木城を眺める事ができる場所です。
説明書きの看板には、この地に堺の豪商・津田宗久を招いて茶会を開いたと書いていました。
今みたいに道路が整備されていない時代、三木まで行くのも大変ですし、機材を運ぶ車などもない時代です。
山の上で茶会を開くと考えますと、今の感覚では考えられないですね。機材を運んだりした人の苦労が感じられますね。
ただ、山の上に本陣を置くぐらいなので、茶会を開くぐらいは戦国武将にとっては当たり前の感覚だったかもしれないですね。
あと豊臣秀吉の三木城攻めの際、秀吉はお気に入りの有馬温泉へ通っていたりしますた。三木から有馬までは近いためです。
敵に対して余裕を見せて、相手の戦意をなくす。
三木城攻めの時、どんな風に豊臣秀吉が過ごしていましたのか。見てみたくなりました。