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春日大社。奈良県奈良市

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 4月10日、奈良の春日大社へ行きました。

 鮮やかな朱色と白。まさに厳かな場所という雰囲気が漂いますね。
 そして参道にあります灯篭には苔が生えていました。日本的な美と同時に歴史を感じさせますね。

 春日大社のホームページを見ますと、創建は768年です。
 称徳天皇の勅命によって、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の本殿が造営されたのがはじまりです。

 歴史好きの人なら「ちょっと待てよ。称徳天皇は出家して仏門に入っているぞ」と思われます。
 称徳天皇は出家したまま天皇に即位した唯一の人物です。尼僧天皇です。

 春日大社の創建の理由については続日本紀には書かれていません。
 ただ、続日本紀には、称徳天皇の即位直後の詔として、神護国家を目指す事を宣言しています。
 悪だくみをする連中がいるため、藤原仲麻呂の乱が起った事。しかし、神々が宿る国なので10日のうちに乱が治まったと書いています。
 そして称徳天皇が即位した時、元号は「天平神護」になりました、まさに神護国家にする意気込みが感じられますね。

 物部と蘇我の神道vs仏教の争いが勃発してから200年も経ちますと、神と仏が共存している感じがしますね。まさに神仏習合といった所でしょうか。

 悪だくみした人物・藤原仲麻呂。称徳天皇とからめて、少し説明します。

 称徳天皇は聖武天皇の娘でした。聖武天皇の息子達が早世したため、女性初の皇太子になりました。
 そして聖武天皇から譲位され孝謙天皇になりました。しかし実権はなく、母親の光明皇太后(藤原不比等の娘)と藤原仲麻呂の操り人形でした。
 その後、無理やり譲位させられ、光明皇太后と藤原仲麻呂の本当の操り人形の淳仁天皇になりました。

 その間に孝謙上皇は出家しました。そして道鏡と知り合い仲良くなりました。

 光明皇太后が亡くなった後、重しがとれたのか、孝謙上皇は政治に目覚め、権力奪取に動き始めました。
 そして藤原仲麻呂の乱(実は孝謙上皇が仕掛けたと言われています)で勝利して、淳仁天皇を廃して淡路へ流刑にしました。そして称徳天皇になりました。
 還俗する事なく尼僧のまま天皇に即位しました。

 ところで春日大社や奈良公園などには鹿がいます。
 春日大社のサイトには「奈良時代に神様が常陸国から御蓋山へお越しになる時、白鹿にお乗りになって来られたことから、春日神鹿は神様のお供であり、神の使いとして大切に扱われるようになりました。」と書いています。
 神の使いの鹿と目があいました。シカ(ト)されませんでしたので、写真撮影できました。

 さて春日大社は藤原家の氏神を祀っています。天児屋根命です。
 天孫降臨の際、瓊瓊杵尊のお供した天児屋根命の子孫が中臣氏(中臣鎌足)になりました。
 なぜ春日大社を建立する際、天児屋根命を祀ったのか。藤原家との関係を考慮(?)
 そう考えますと興味津々ですね。

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