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白川郷。岐阜県大野郡白川村荻町
9月、世界遺産の白川郷へ行ってきました。合掌造りの集落群が有名ですね。
集落を散策していますと電柱がない事に気づきます。そのため、すっきりした感じで写真を撮る事ができます。
住民の方々が伝統的な建物を維持し、かつ、景観を大事にされているのが伝わってきます。
見学できる合掌造りの家屋があります。
1階は居住空間になっています。2階、3階は江戸時代や明治時代に使われていた農機具、養蚕の道具の展示がありました。江戸時代、明治時代の生活ぶりを垣間見る事ができました。
昔からあります集落にいきますと養蚕があったりします。現代の感覚ですと「養蚕は〇〇の地で生産」となりがちですが、当時は全国の農家が小規模で養蚕をしていたようですね。
見学している時、ある建築好きな人に声をかけられました。その方は「合掌造りの屋根を大黒柱が支えているわけでない上、雪の重みが凄いのに、どこで支えているのだろうか不思議」と言われました。
建築の知識のない私にとっては難しい問題ですが、考えてみますと、重い屋根を支える仕組みはどうなっているのか。建築の視点で見る事ができると、さらに面白くなる事に気づきました。
真宗大谷派のお寺・明善寺がありました。合掌造りお寺は他の地域では見れないようです。
本堂には嘉念坊善俊の肖像画がありました。嘉念坊善俊は親鸞の弟子で1258年、44歳の時に白川郷にやってきて、終生この地で布教活動したと言われています。そのため現在でも飛騨地方では浄土真宗は存在感があります。
ところで一説には嘉念坊善俊は後鳥羽上皇の息子とも孫とも言われています。後鳥羽上皇といえば、昨年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」で尾上松也さんが演じていました。ハマり役ですね。
閑話休題。もし、嘉念坊善俊が後鳥羽上皇の息子(もしくは孫)のなれば、不思議な因縁を感じます。法然・親鸞が流罪になったのは、法然の教えが人気上昇し、それを妬む宗派が出てきました。「法然を何とかしろ」の声がある中で、法然の弟子が後鳥羽上皇のお気に入りの女官を出家させたため、それに激怒した後鳥羽上皇が法然・親鸞を流罪にしたと言われています。真相は謎ですが。
ただ、親鸞にとっては自分を流罪にした後鳥羽上皇の息子(孫?)が弟子になるとなれば不思議な物がありますね。
夕方、白川郷を出発する直前に小学生が列を組んで下校している姿を見ました。
白川郷はテーマパークではなく、地元の方の生活の場だというのを改めて感じる光景でした。
それだけに白川郷の観光する際は、地元の方々の迷惑にならないように心がけたいですね。