Blog

恭仁宮。引越し魔の聖武天皇

ブログ

先日、京都府木津川市に、かつての都跡・恭仁宮(くにみや)を通りました。
恭仁宮とは、奈良の大仏を建立した聖武天皇が作った都です。

740年当時、疫病が大流行したり、藤原広嗣の乱が起こり、政情不安の中、心機一転するため、聖武天皇は藤原京から恭仁へ遷都を行ったと言われています。
しかし、恭仁に都があったのは4年間で、その後、難波(大阪)に遷都しました。でも1年後に元の場所であります藤原京に遷都しました。

小学校や中学校の歴史で習いました「墾田永年私財法」をはじめ、全国に「国分寺」の建設や、奈良の大仏の建設を指示したのは、恭仁宮時代でした。
疫病が流行り、社会はズタズタ。聖武天皇は「たたりじゃ。なんとかせねば」という悲壮感で政策を矢継ぎ早に打ち出したのかもしれないですね。

でも、1つ疑問が出てきました。国分寺や大仏の建設。そして度重なる遷都。どこに財源があったのでしょうか。
財源は、既にあった朝廷の莫大な財産かもしれないですし、墾田永年私財法で増収したかもしれません。
そして、聖武天皇は確保した財源を使って、財政出動を行い、停滞した社会へのカンフル剤とした。経済通の聖武天皇。奈良時代のケインジアン。そんな仮説を立ててみました。

真実はわかりませんが、色々な事を想像(妄想?)する事で、歴史を見る楽しみが増えますね。

Share

Category

Archive

Recent posts