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徳川家康を祀る久能山東照宮。静岡県静岡市

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 1月8日、久能山東照宮へ行きました。
 静岡駅からバスで日本平へ行き、そこからロープウェイに乗ります。乗り場には大きな葵の御門。そしてゴンドラの絵柄が葵の御門。頭の中で水戸黄門の音楽が流れてきそうになります。

 ところで「東照宮」とは徳川家康を「東照大権現」として祀る神社の事です。久能山にあります東照宮という事で久能山東照宮と呼ばれています。
 日光東照宮の方が有名ですが、最初にできた東照宮は久能山東照宮です。徳川家康の遺言が久能山に埋葬する事だったため、2代目将軍・徳川秀忠は久能山に立派な神社を建てる事にしました。
 山の上にあります。重機もない時代に、よくこんな所に建築資材を運んで工事をしたなぁと感心するばかりです。しかも工期が1年5ヶ月です。当時としては驚異的な早さです。
 
 久能山東照宮を見学していますと、豪華絢爛さに驚きます。「神君・家康公」といった感じです。
 白兎の彫刻がありました。昨年の大河ドラマ「どうする家康」で白兎と呼ばれた家康。ドラマを連想してしまいそうですね。

 屋根に注目しますと逆さの葵の御門があります。「まだ完成していない」とか「世の中に完全な物はない」を表すため意図的に逆さにしたと言われています。
 私は一か所だけしか発見できませんでしたが、他にもあるみたいです。

 徳川家康の御廟所があります。ここに徳川家康が埋葬されたと言われています。
 その後、日光東照宮に遺体が運ばれたと言われていますが、実際の所は謎のようです。

 久能山東照宮には資料館があります。徳川家康の所蔵品が展示されています。眼鏡、スペイン国王のフェリペ3世から送られた機械仕掛けの時計。大河ドラマ「どうする家康」でも登場した鉛筆もあります。
 機械仕掛けの時計ですが、当時の部品がそのまま残っているため、大変貴重な物になっています。ヨーロッパでは実用品(超高価ですが)のため、故障があれば部品の取替が行われたため、当時の部品が残っていません。そのため当時の時計を知る上での貴重な資料になっています。写真撮影禁止のため写真は撮れませんでしたが、貴重な物だと文章で伝わればと思いました。

 徳川家康はスペインとの交易を望んでいました。
 そんな中、1609年にドン・ロドリゴ(ロドリゴ・デ・ビベロ)がルソン提督の任を終えてメキシコへ向かう途中に台風に遭い、そのまま千葉に漂流しました。
 この時、徳川家康は丁重に扱いました。と同時に交易の機会ととらえ、スペイン王・フェリペ3世に親書も送りました。スペイン王・フェリペ3世も謝礼として高価な時計を送りました。
 ただ、カトリックの勢力拡大を恐れた徳川家康は布教活動を禁止。交易と布教を一緒と考えていたスペインにとっては受け入れがたく、そのためスペインとの交易は実現しませんでした。
 余談ですが「フィリピン」という名称は「フェリペ」に由来します。フェリペ2世がフィリピンを植民地にしたためです。

 あと静岡の地場産業と久能山東照宮との意外な関係を書き忘れる所でした。
 久能山東照宮には奉納されたプラモデルが展示されています。静岡市はプラモデル生産で全国シェアの7~8割を占めます。地場産業です。
 静岡浅間神社、久能山東照宮の修復のため優秀な技術者が静岡に住みました。彼らにとっても静岡が温暖で住み心地が良かったため静岡に定住しました。
 彫刻などで培われた技術が木工模型の生産になり、その技術が現在のプラモデル製造につながっています。

 久能山東照宮の見学を終えた後、日本平に戻り富士山を見ました。天気が良かっただけに富士山の良い眺めを見る事ができました。

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