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寺田芋と琉球からサツマイモを伝えた嶋利兵衛。京都府城陽市

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 10月27日、京都府城陽市の旧・大和街道を通っていますと大蓮寺がありました。
 お寺の境内には、芋の形をしたお墓があります。

 お墓には「琉球芋宗匠島利兵衛」と刻まれていました。
 嶋利兵衛という人物。江戸時代に、琉球からサツマイモを伝えた人物です。

 でも、江戸時代に琉球へ自由にいけたのだろうか。そんな疑問を持ちながら、自宅に帰って調べました。
 すると、昨日のブログで紹介しました和菓子司の松田屋さんのサイトに説明がありました。
 御菓子司 松屋

 薬問屋だった嶋利兵衛は、ご禁制の品を扱ったため琉球に島流しになりました。
 その後、許され、城陽に戻る際、サツマイモの苗を持ち帰りました。試行錯誤の末、栽培に成功しました。
 サツマイモは悪条件でも育ちます。飢饉の際、サツマイモのお陰で多くの人を救いました。
 そのため島利兵衛は感謝され、お墓に「琉球芋宗匠島利兵衛」と刻まれる事になりました。

 お墓を見た時は気づきませんでしたが、お墓の側面には「松屋治郎兵衛 菓子屋清蔵」と刻まれています。
 もしかして、このお墓、明治後期に、松屋さんが旅籠からお菓子屋になった後にできたかもしれません。

 当時、この地は寺田村だったため「寺田芋」という名前になりました。私は知りませんでしたが、寺田芋は知る人ぞ知る有名な芋のようです。
 そして、松屋さんで芋ようかんを販売しています。

 松屋さんの前を通る際、寺田芋の話などを知っていたら、芋ようかんを買っていましただけに、次回、松屋さんの近くを寄る際は、忘れずに芋ようかんを買おうと思いました。

 最後に余談です。ちなみに幕末に坂本竜馬が寺田屋で襲われた寺田屋事件ですが、寺田村出身の人がはじめた宿です。

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