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奈良時代から続く琵琶湖の治水対策。瀬田川の洗堰。
11月3日、琵琶湖の近くになります瀬田川の洗堰の側を通りました。
琵琶湖に流れる川は多数ありますが、琵琶湖から外に流れる出口になる川は、瀬田川だけです。
この洗堰は、琵琶湖の水量を調整する調整弁の役割を果たしています。
洗堰の側には水のめぐみ館 アクア琵琶という施設があります。
中に入りますと、琵琶湖の紹介から、琵琶湖の治水対策の歴史の展示がありました。
琵琶湖の治水対策は奈良時代から行われていました。
あの奈良の大仏建立で陣頭指揮をとった行基が、琵琶湖の治水対策を行おうとしました。
アクア琵琶の側に大日山があります。大日山が瀬田川に突き出していたため、水の流れが悪くなっていました。
そのため大雨が降ると、琵琶湖に水が溜まり、周辺が洪水に見舞われる事態になっていました。
そこで大日山を削ろうとしましたが、大日山を削ると、今度は下流で氾濫が起こりやすくなるため断念しました。
その際、行基は山に大日如来を祀り、今後、この山を削ると祟りがあると伝えました。大日山と名づけられた由来です。
行基のお陰で明治になるまで、誰も大日山には手をつけませんでした。
瀬田川には土砂が溜まりやすいため、瀬田川の流れが悪くならないよう、いくども浚渫(しゅんせつ)が行われてきました。
そして明治になり、ようやく大日山が削られた上、水量の調整弁になる洗堰ができました。現在の洗堰は昭和36年にできた物です。
今年7月の豪雨。下流での洪水を避けるため洗堰が閉じられました。
雨の多い時期は、琵琶湖の水位はマイナス20cmで保たれています。豪雨の際、プラス70cmまで水位があがりました。
琵琶湖周辺に洪水の危機が迫っていました。
しかし、この時、桂川上流の日吉ダムで水位が限界まで達して、放流せざる得ない事態になり、さらに瀬田川の洗堰まで放水すると、淀川周辺の氾濫という最悪の事態になりかねない状態でした。幸い、琵琶湖が持ちこたえたため、淀川周辺の氾濫を避けることができました。
普段、目立たないですが、治水対策に関わるダム関係者には頭が下がりますね。