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廃藩置県は明治4年。その証拠。兵庫県加東市滝野町
中学・高校で習います日本史で、明治4年に廃藩置県が行われました。
それまでは明治になっても各藩が自治を行っていました。
昨日のブログでも紹介しました兵庫県加東市滝野町の闘龍灘に各藩が自治を行っていた証拠が残っています。
闘龍灘にあります石碑に「明治三年庚午九月 姫路藩庁」という文字があります。明治3年は、まだ藩が自治を行っていた証拠ですね。
明治2年、明治政府は各藩に版籍奉還を発令しました。「土地(版)や人民(籍)を天皇にお返ししろ」という命令です。
ただ、藩主がそのまま藩知事に収まり、藩の権限はある程度残しました。
版籍奉還に対する見方ですが、2通りあります。何も変わらなかったため、劇薬として廃藩置県を行ったという見方。
いきなり廃藩置県を行うと反乱が起こる危険性から、二段階での改革として、最初は緩やかな版籍奉還を行ったという見方。
ただ、版籍奉還のお陰で藩主の力を弱める事ができたため、廃藩置県の際、反乱が起こらなかったという見方もあります。
結果的に改革のための下準備だったと言えますね。
廃藩置県後、明治政府が任命した役人が知事が各地を統治する形になり、中央集権になりました。
藩主達による反乱は起こりませんでしたが、困惑や憤りがあったのは事実で、廃藩置県が決まった際、島津久光が鬱憤を晴らしのため、やけくその花火を打ち上げました。NHK大河ドラマ「西郷どん」でも、その様子が描かれていましたですね。