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藩、府、県の違い

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 昨日、廃藩置県の事を取り上げました。
 ところで廃藩置県によって、藩から県に置き換わりましたが、大阪府、京都府はどこにあるのだろうかという疑問が出てきますね。
 今日は藩、府、県。何が違うのかを書く事にしました。

 「藩」、「県」、「府」は、中国から伝わった言葉です。

 「藩」は、古代中国で諸侯の事を指す言葉でしたが、それが諸侯や、諸侯が治める領地を意味する呼称になりました。
 それが日本に伝わりました。

 「県」は秦の始皇帝時代に始まった郡県制に由来します。
 それまでは古代中国では、各地を諸侯が統治していましたが、秦の始皇帝が中央集権を行うため、皇帝が選んだ役人が統治する所という事で「県」ができました。
 旧漢字では「縣」で、つながりを意味する「糸」がついています。元々の「縣」という漢字は「つながり」を意味する漢字でした。
 始皇帝が敷いた郡県制の場合、中央と地方をつなぐという意味で「縣」が使われるようになり、それが日本に伝わりました。
 ところで秦の始皇帝の時代、郡の下に県を置いていました。今の日本とは反対ですね。

 「府」は古代中国で文書や財宝を入れる蔵でしたが、それが転じて「府庁」を指す言葉になりました。
 それが日本に伝わりました。政府、内閣府、幕府などの単語には、まさに府庁の意味がありますね。
 九州の大宰府も、元々は太宰(おおみこともち)という地方行政長官の役職で、その役職者がいる役所という事で大宰府でした。
 それが時代を経て、いつの間か地名になりました。

 明治元年、旧・幕府直轄地だった大阪・京都、東京が明治政府の直轄地になりました。明治政府直轄の地域という事で「府」となりました。後に東京は「府」から「都」になりました。
 明治4年の廃藩置県の際、藩から県に変わりました。京都・大阪が府である理由、廃藩置県が廃藩置府県でない理由がわかりますね。

 ところで藩の呼称。江戸時代は、あまり使われていませんでした。
 明治になって使われるようになりました。諸侯(大名)が統治していた地域と、中央政府の役人が統治する地域を区別するためかもしれません。

 ちょっとした疑問から、面白い事がわかりますね。

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