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まひろの弟はまひろ。大河ドラマをより楽しく見る話
今年の大河ドラマは「光る君へ」で主人公は紫式部です。
ドラマでは紫式部の名前が「まひろ」という名前になっていますが、紫式部の名前は史料にないため、本当の所はわかっていません。
ところで紫式部の弟・藤原惟規を演じているのは高杉真宙(まひろ)さんです。なぜドラマでは紫式部の名前が「まひろ」となったのかは脚本家の大石静さんに聞かないとわかりませんが、勝手な推測をしますと「まひろの弟はまひろ」という遊び心を取り入れた可能性があります。
6月9日の放送では越前での宋人との接する場面がありました。周明から「ウォーシークオショウ」(我是国守)と宋の言葉を習っていますが、これは現在の中国で採用されている共通語(普通話)です。
通称、北京語と呼ばれる物で北方の言葉になります。しかし、当時の宋は南方地域にありましたので、言葉も南方系だったと考えられます。
日本でも色々な方言がありますが、広大な中国大陸ではさらに多くの言語が存在しても不思議ではありません。現在でも中国にはいくつもの言葉があり、例として上海語、福建語、広東語が挙げられます。異なる言語のため北京語しか話せない人が上海語や広東語を聞いてもチンプンカンプンです。
大河ドラマの宋人。1000年前の宋で現在中国語、しかも北方系の言葉を話しているので「ホンマかいな」という突っ込みができます。
まひろが「是」(シーに似た音)の発音が上手にできずに周明にやりなおしさせられる場面がありました。でも「是」の発音は中国の北方の発音です。南方系の人は「スー」と発音します。
あとR化音(児化音)を使っていました。語尾に「~ル」みたいな物がつく発音です。北京や天津で使われています。しかし、上海や広州をはじめとする南方ではR化音は使いません。
ドラマでは国守の娘という事で「娘」を「女孩児」(ニィーハールに近い音)と発音していましたが、南方では「女孩子」(ニィーハイツ)と発音します。
北方系の中国語の発音に、まひろは四苦八苦していますが、実は南方系の発音(日本人に易しい発音)でも問題なく通じますので、なんだかずっこけそうですね。
16日放送のドラマでは、藤原道長は「宋は表向き交易を求めているが、越前は都に近いので攻められる可能性がある」と危機感を抱いている場面がありました。
しかし藤原道長をはじめ朝廷の貴族たちは平和ボケしていました。安全保障の「ほ」の字もなかった状態でした。
実際、1019年に起こった刀伊の入寇の際、大宰権帥として大宰府に赴任していた藤原隆家が陣頭指揮をとり見事に蹴散らしましたが、藤原道長をはじめ貴族たちは評価をしませんでしたため藤原隆家は恩賞も何ももらえませんでした。それに対して藤原実資は「恩賞を与えないのはおかしい」と異を唱えましたが実現しませんでした。
刀伊の入寇については以前のブログ花山法皇襲撃事件。日本を救った英雄・藤原隆家の若気の至りで紹介しました。
余談ですが花山法皇ですが、ドラマでは女御・忯子が亡くなって落ち込んだ時、藤原道兼の出家の誘いに乗って、天皇の座を放り出して出家したと思えば、出家の身ながら女性の所に通っていたりと、いまいちな人物で描かれています。しかし、文化面では西国三十三所巡礼を再興した人物です。
閑話休題。宋についてですが日本を侵略する意図は毛頭になかった王朝です。宋は経済発展を優先し他国を攻めて版図を広げる事はしませんでした。よく日本の外交が弱腰外交と言われていますが、当時の宋は本当に弱腰外交で経済発展で得た富を北方騎馬民族に送る事で平和を保っていました。
特に宋の末期、金(女真族の国家)が南下して首都の開封(現在の杭州)に迫った時、将軍・岳飛が徹底抗戦を主張しましたが、宰相の秦檜が反対し金と和睦。金に毎年、貢物を送ると同時に、岳飛に無罪の罪をかぶせた話があります。ただ宋の軍事力では金にはとても対抗できないため秦檜は現実路線として和睦を行ったという評価はできます。
余談ですが杭州にあります岳飛廟には秦檜と妻が縄につながれている銅像があります。今も「秦檜は弱腰外交を行った売国奴」と言わんばかりに物をなげつけていています。900年経っても中国では許してもらえないようです。
金は女真族の国家。刀伊の入寇も女真族です。宋が怖れていた女真族ですが、藤原隆家はそれを蹴散らしました。もっと藤原隆家を恰好良く描いても良いと思ったりしますね。
違った視点で大河ドラマを見てみますと、より面白く感じるかもしれないですね。
写真は宇治川沿いで撮影した紫式部の像。杭州の岳飛廟で撮影した秦檜と妻が縄につながれている銅像です。