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細川ガラシャの嫁ぎ先は勝龍寺城。京都府長岡京市

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 細川ガラシャといえば、明智光秀の三女です。
 嫁いだ時は、まだガラシャはキリシタンではなかったため、ガラシャという名前ではなく「玉」でした。
 玉姫。どこかの結婚式場を思い浮かべますが、関連はなさそうです。

 この間の土曜日、勝龍寺城跡を通りましたので、立ち寄りました。
 勝龍寺城は、江戸時代初期に廃城になりましたが、平成になり、公園として整備され、再現された建物は資料館になっています。
 庭園内には、地下水を汲んでいる水道があります。「ガラシャ おもかげの水」です。飲める水なので、ガラシャと同じ井戸水を飲んだ気分になれるようです。

 細川忠興に嫁いだガラシャは、ここで2年間の新婚生活を過ごしました。
 本能寺の変の際、明智光秀がこの城に本陣を構えました。父・娘と深い縁のあるお城です。
 ガラシャと縁が深いお城だった事から、勝龍寺城公園沿いの道を「ガラシャ通り」と言います。

 細川忠興とガラシャの間に生まれた三男・細川忠利は初代・熊本藩主です。その子孫は細川護熙元首相です。
 細川護熙元首相は、明智光秀の子孫とも言えますね。

 ここで疑問に思いました。
 明治以前は、武家社会は夫婦別姓でした。源頼朝の妻は北条政子ですし、足利義政の妻は日野冨子です。中学・高校の歴史を思い出しますね。
 そのため細川ガラシャというのは武家社会には相容れない呼び方になります。調べていますと「細川ガラシャ」という呼び方は明治以降になってからです。
 明治以降でしたら、合点がいきますね。

 来年のNHK大河ドラマは明智光秀です。そのため一足早い大河ドラマを見るための予習になりました。

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