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朱子学を排した伊藤仁斎の旧宅跡。京都市・堀川通
3月9日、堀川通を散策していますと伊藤仁斎の旧宅跡を発見しました。
伊藤仁斎は江戸初期の学者というのは歴史で習いましたが、どんな学者だったかは忘れていました。
調べてみますと、儒学者で朱子学を学んだが、その後、朱子学を排し、古義学という学派を立ち上げた人物です。
ところで朱子学で有名な言葉が「大義名分」です。
中国、南宋時代の朱熹が始めた学派が朱子学です。「臣下は主君に従いなさい」というのが大義名分にあたります。
大義名分の本来の意味は臣下としてのあり方を示した物です。
朱子学の影響を大きく受けたのが建武の新政の後醍醐天皇です。「俺は天皇だ。俺に従って当然だ」という感じで政治を行いました。
後醍醐天皇の協力して鎌倉幕府を倒した武士達への恩賞はいい加減な上、武士を冷遇しました。その上「武士は俺に従って当然」の態度でしたため、不満を持った武士達が立ち上がり、足利尊氏が室町幕府を開く事になりました。
最後まで後醍醐天皇に従った楠木正成、新田義貞は忠臣と呼ばれています。まともな指導者の下なら、誰でも従いますし、従った方が特だと思います。
でも、どうしようもない主君・後醍醐天皇であっても、それに従っていた楠木正成、新田義貞だったので忠臣と呼ばれるようになりました。
もしかして伊藤仁斎は朱子学の縛りを嫌がって、もっと自由な発想を持とうとしたかもしれないですね。
歴史を紐解きますと面白いですね。
ところで現在の建物は明治23年に再建された建物です。