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岩倉具視幽棲旧宅。京都市左京区岩倉

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 3月9日、京都市左京区にあります岩倉具視幽棲旧宅へ行きました。

 昨年の大河ドラマ「西郷どん」でも出てきました岩倉具視が失脚後、5年間過ごしていた場所でした。
 ちょうど、ボランティアガイドさんがいらっしゃいましたので、その方が説明をお聞きする事ができました。

 岩倉具視が失脚後の最初の2年間は、奥の小さい所に住んでいましたが、罪を解かれ政治活動ができるようになり、客人が宿泊できるように写真にあります家屋を増設したという事を聞きました。
 ドラマですと、貧窮していたため、粗末な小屋で過ごしていた演出でしたが、そうではないようです。

 岩倉具視幽棲旧宅ですが、今でこそ地下鉄烏丸線に乗り国際会館駅で降りて、徒歩で行ける距離ですが、当時は、京都の中心街から徒歩で半日かかる距離でした。
 半日かけて岩倉邸へ行き、一泊して、戻るという感じでした。それでも岩倉具視に会いに行く人が絶えなかったのは、岩倉具視の実力が凄かった事がうかがえますね。

 岩倉という地名と、岩倉という苗字が同じなので関連性を聞きましたら、全く関連がないと教えていただきました。
 江戸初期の公家が分家して、岩倉の地に来た時、苗字を地名の「岩倉」と名乗ったの過ぎないとの事でした。ちょっと意外でした。

 大河ドラマでの岩倉具視と、実際の岩倉具視は違う事も教えていただきました。
 ドラマでは、西郷隆盛が岩倉邸前にしかけられた罠にひっかかる場面がありましたが、実際には罠はなく、地元民が岩倉具視を警護していたようです。
 岩倉家は賭場を開いていた可能性はありますが、ドラマで出てきた素行の悪そうな人達がやってきて丁半博打のような事をしていたのではなく、カルタ賭博や、将棋・囲碁などの賭け事のようです。

 ドラマでは笑福亭鶴瓶さんの名演技でしたが、実際の岩倉具視は、笑福亭鶴瓶さんが演じていた姿ではなかったようです。

 ただ、謎ができました。岩倉家の家紋が笹りんどうです。清和源氏の家紋も笹りんどうです。
 そこで清和源氏との関係をボランティアガイドの方にたずねてみましたが、ご存知なかったため、謎のままでした。

 現時点では、関連性はわかりませんが、わかり次第、日記で取り上げたいと思います。

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