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西本願寺の太鼓楼。新撰組ゆかりの地。京都市
江戸幕末の京都といえば新撰組が挙げられます。
当初、新撰組が結成されたとき、壬生に駐屯所がありましたが、手狭になったため、西本願寺に拠点を移し、北側にあります北集会所と太鼓楼を使用していました。
新撰組が西本願寺に拠点を移すのは意図がありました。
西本願寺と長州藩(毛利家)とつながりがあったため、そのつながりを断ち切るため、敢えて西本願寺に拠点を移したとも言われています。
ただ、あまり評判は良くなく、実弾演習を行ったり乱暴をしたりして、僧侶や参拝者を震撼させたと言われています。
そのため西本願寺は「費用を出すから、拠点を移してくれ」となり、新撰組は西本願寺から不動堂村屯所へ拠点を移しました。
隊士の中に西本願寺に対して迷惑をかけたのを気にしていたのか、元隊士の島田魁が明治になって、西本願寺の守衛を務めた話があります。
北集会所ですが、姫路にあります本徳寺に移設されたため、現在では太鼓楼だけが残っています。
でも、江戸時代の建物が普通にある京都。歴史を感じますね。