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東本願寺と西本願寺の違い。京都市
JR京都駅の北側に東本願寺と西本願寺があります。先日、この2つの寺院の前を通りました。
日本史の復習と思い、この2つの違いを書いてみることにしました。
2つとも同じ浄土真宗のお寺です。そして元は同じ石山本願寺の宗派です。
そこから2つに分かれた事を知るには、戦国時代まで遡ります。
織田信長が大坂にありました石山本願寺との戦いを行っていました。10年間も戦っていました。
石山本願寺では宗主の顕如は和睦を主張し、長男の教如が徹底抗戦で、本願寺内部で意見対立していました。
結局、和睦する事になりました。
豊臣秀吉の時代になり、京都に移りました。その時、宗主は顕如の三男の准如が跡を継ぎました。
これが今の西本願寺です。浄土真宗本願寺派と言われています。
親子対立の上、飛び出した長男の教如ですが、豊臣秀吉の死後、徳川家康の近づきました。家康は京都七条の地を寄進しました。
今の東本願寺です。浄土真宗大谷派と言われています。
徳川家康は浄土真宗を分断させ、力を削ぐために、教如を支援したと言われています。その後、西本願寺と東本願寺は対立を続けた歴史があります。
その対立があった名残りとして、現在でも両者が使う用語に違いがあります。
仏壇にお供え物の事を、西本願寺では「お供え物」。東本願寺では「お備え物」と書きます。
ところで織田信長が10年に渡り石山本願寺と戦ったのか。今まで疑問に思っていませんでした。
しかし、調べてみますと、石山本願寺があった場所が要所だったため、絶対に獲得したい場所だったようです。
織田信長は、なぜ石山本願寺を攻め続けたのか? | PHPオンライン 衆知|PHP研究所
歴史を紐解くと面白いですね。
写真ですが逆光になっているのが西本願寺で、夜景は東本願寺です。