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焼津、熱田神宮。三種の神器にまつわる話。

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 三種の神器は、皇位継承者が受け継ぐ神物で、今年5月1日の剣璽等承継の儀で、上皇陛下から天皇陛下へ受け継がれました。
 剣璽等承継の儀―令和元年5月1日(首相官邸のyoutube)

 先日のブログで三種の神器のうち、八咫鏡と草薙剣は形代(神霊が憑依した特別な模造品)の話を書きました。
 本物の八咫鏡は伊勢神宮、草薙剣は熱田神宮に保管されています。

 ところで本物の三種の神器ですが、いつ、どこで作られたのか。古代史の謎ですね。

 古事記では、八咫鏡と八尺瓊勾玉は、天照大神が天岩戸に隠れた際、天照大神の気を引く際に作られたとなっています。
 そして草薙剣は、スナノオ(素戔嗚尊)が出雲国でヤマタノオロチを倒した際、ヤマタノオロチの尾から出てきたとされています。
 そして天照大神は孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を高天原から葦原中国に送り出す際、三種の神器を持たせました。天孫降臨です。

 ただ、三種の神器は、神武天皇が即位するときから使われてきたわけではなさそうです。
 持統天皇の即位の際に三種の神器が使われたと日本書紀に書かれていますが、それ以前については古事記、日本書紀では触れられていません。

 そして三種の神器が皇位継承者が受け継ぐ神物として大事に保管されてきたかといえば、ヤマトタケルノミコトが東征の際、伊勢神宮で叔母に会い、草薙剣が渡された話があります。戦いに使った名刀のようです。
 「草薙」の名前の由来は、今の静岡で豪族に騙されて草原に火が放たれた事がありました。この時、草薙剣で草を刈り取り、叔母からもらった火打石で火をつけ、形勢を逆転した話があります。草を刈った剣だから草薙剣というわけです。火が放たれた場所のため、地名が「焼津」になりました。
 その後、ヤマトタケルノミコトが尾張で妻に草薙剣を託し、伊吹山に向かいましたが、戦いに敗れ、亡くなりました。
 ヤマトタケルノミコトの妻が草薙剣を祀るため創建したのが熱田神宮で、以後、熱田神宮に保管される事になりました。

 三種の神器が、いつ、どこで作られたのかは古代史の謎ですが、三種の神器の観点で、古事記、日本書紀を辿ると、日本の歴史や地理が垣間見えるので面白いですね。

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