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「幕府」の定義は曖昧。征夷大将軍と幕府は別物だった話

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 幕府の頂点といえば将軍(征夷大将軍)を思い浮かべます。
 しかし、征夷大将軍を頂点とする武家政権の事を「幕府」と言い出したのは江戸時代後期からです。
 そのため源頼朝、足利尊氏、徳川家康は「幕府を開く」と宣言していませんし、「武家政権=幕府」という概念すらありませんでした。
 そう考えますと「幕府とは何か?」という疑問が出てきますね。
 この定義が曖昧なため、鎌倉幕府成立がいつなのか、いまだに議論になっています。

 もともと、幕府とは「近衛大将」という官位の唐名でした。
 唐名とは、律令時代に、外国かぶれした貴族が、日本の官位に該当する唐の官位をつけた事に由来します。
 わかりやすい例として、中納言を「黄門」と呼ぶことです。水戸黄門は水戸の中納言という意味です。

 近衛大将が開いた政権や役所を「幕府」と呼んだと考えても良さそうですが、そんなに単純な話ではありません。
 過去に貴族、公家で近衛大将になった人がいたからです。平安時代の権力者・藤原道長も左近衛大将になっています。
 多くの藤原一族が任命された官位ですが、でも、平安幕府とは言わないですね。

 武士が近衛大将になれば幕府を開く事になるかといえば、そうとは限りません。
 織田信長が右近衛大将になりました。でも、安土幕府とは言わないですね。

 これらを考えますと「幕府とは何か」がわからなくなりますね。

 ところで冒頭で鎌倉幕府の成立はいつなのか、今だに議論がわかれていますと書きました。
 以前は学校の歴史の教科書には、源頼朝が征夷大将軍になった1192年だと書いていました。
 しかし、現在では源頼朝に守護・地頭の任命権を認めた文治の勅許が出た1185年になっています。統治権を認めた年です。
 ちなみに、1185年といえば、平家は壇ノ浦の戦いに敗れ滅んでいます。

 ただ、他にも別の説が、私が知る限りでは2つあります。
 1つ目は、源頼朝が右近衛大将になった1190年です。ただ、源頼朝は、たった3日で辞任しています。
 2つ目は、承久の乱以降です。鎌倉政権ができても、統治できていたのは東国だけでした。西国は朝廷の支配がありました。そのため西国まで鎌倉政権が掌握した承久の乱以降を唱える人もいます。

 幕府の定義が確定したら歴史の教科書の記述が変わるのか。10年後、20年後、日本史の教科書がどうなっているのか気になりますね。

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