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胴切れ地蔵。江戸時代のイリュージョン? 兵庫県加古川市平野町

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 10月6日、加古川市内を散策していますと胴切れ地蔵を発見しました。看板に由来が書いていました。

 参勤交代の大名行列を横切った男が侍に切られました。しかし、男は無事でした。そして地蔵の胴体が切られていました。その男は身代わりになってくれた地蔵を身心するようになりました。

 以上の話です。もし、事実とすれば奇跡以外の何物でもなく、2代目・引田天功さんも驚きのイリュージョンかもしれませんね。

 ところで大名行列といえば、時代劇では、町人は土下座してやり過ごす姿が描かれたりしています。
 しかし、将軍・御三家以外の大名行列は、土下座する義務はありませんでした。行列の邪魔さえしなければ、何も問題はありませんでした。
 どこの大名も威厳を示す目的で見栄を張った行列を行うため、周辺住民は、娯楽として大名行列を見物していました。

 しかし、大名行列を横切ると「切捨て御免」で切られても文句は言えなかったようです。
 ただ、大名行列を横切っても許される職業がありました。産婆と飛脚でした。

 ところで大名行列を横切ると、切られてしまいますが、行列の主が藩主の身内や家老の駕籠の場合はどうなったのか。
 文久2年(1862年)、薩摩藩主の父親(肩書きなし)の島津久光の隊列は、通行の邪魔をしたイギリス人に襲い掛かり、薩英戦争の引き金になりました。(生麦事件)
 慶応4(1868年)、備前藩家老の隊列を横切ったフランス水兵に対して威嚇し、フランス水兵が負傷したため、大事件に発展しました(神戸事件)

 そう考えますと、大名行列の定義や、隊列の主がどの身分であれば切捨て御免になったのか、気になりますね。

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