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即位の礼が行えなかった室町時代後期
10月22日、天皇陛下の即位の礼(即位礼正殿の儀)が行われました。
天皇・皇后両陛下のお姿をニュースで拝見。日本の伝統を感じました。
即位の礼のお写真(宮内庁)
ところで歴史を見てみますと、即位の礼が行えない時代がありました。応仁の乱の後の室町時代後期です。
当時、朝廷は荘園を持っていましたが、自力では徴税する事ができず、守護大名が代行していました。その守護大名も地頭に徴税を任せていました。
守護大名や地頭達は荘園で得られた税をピンハネしていましたが、それでも朝廷は成り立っていました。
しかし、応仁の乱で、京都は荒廃しました上、11年に渡る戦争のため守護大名は疲弊。
その間に地頭達が好き放題するようになったため、朝廷に納めるための税徴収ができなくなりました。そのため朝廷は財政危機に陥りました。
朝廷だけでなく、荘園を持っていた公家も同様に、財政難になり、落ちぶれていく状態でした。
財政難のため、朝廷の儀式(朝儀)が行えなくなりました。
それどころか天皇が直筆の文書や和歌を書いて販売するぐらいの状態でした。
相当、貧窮していた事もあり、後土御門天皇が崩御した際、火葬費用がなく、ご遺体が放置されていた状態が43日続きました。
そして後柏原天皇は即位したものの即位の礼を行うための費用がなく、即位後22年たって、将軍家や本願寺の寄付により、ようやく即位の礼が行えました。
後奈良天皇も即位して10年後に戦国大名の寄付により即位の礼が行えました。
正親町天皇も、毛利元就の献金で、即位の礼が行えました。
戦国時代は武将の国取り合戦に目がいきがちですが、朝廷や公家を見ますと、悲惨な状態でした。
しかし、そのような状況でも、天皇は、平和と民の安寧を願っていました。
状況が変わったのは織田信長の登場でした。
織田信長が朝廷支援を行いました。そして、豊臣秀吉も朝廷支援を行いました。その結果、朝廷は財政難からの脱却ができました。
天下取りのため、朝廷という権威のお墨付きをもらうという打算的な部分はありますが、朝廷が救われた事には間違いありません。
1500年以上続く皇室に、財政危機の歴史があったのは意外ですね。