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四文字元号の時代に行基が開基の定善寺。兵庫県明石市
10月27日、明石の海岸沿いを散策していますと行基が開基した定善寺を発見しました。
開基したのが元号が天平勝宝の時でした。(西暦749年から766年)
大仏建立の陣頭指揮を執った行基が活躍した時代なので、聖武天皇の時代になります。
ところで、奈良時代に元号が4文字だった時期がありました。
聖武天皇の時、初めて4文字元号の「天平感宝」が登場し、以来、20年に渡って4文字元号が使われました。
武周の女帝・則天武后が4文字元号を使った事に倣ったためです。
この時代、朝廷の実権を光明皇后(聖武天皇の后)と、光明皇后の甥の藤原仲麻呂が握っていました。
藤原仲麻呂は唐かぶれで、官位も唐風の名称を導入するなど、唐の真似をしていました。おそらく「唐では~」を連発したかもしれません。
今に例えますと、欧米かぶれで「アメリカでは」や「イギリスでは」が口癖の出羽(でわ)の関の人です。
ただ、4文字元号を提案したかどうかは、わかりませんが。
光明皇后の崩御をきっかけに、後ろ盾がいなくなった藤原仲麻呂は、権力を失っていきます。
そして光明皇后の娘の孝謙天皇が、道鏡と仲良くなり実権に握っていく事になります。ついに藤原仲麻呂は乱を起こしたが敗北し処刑されました。
光明皇后は藤原不比等の娘です。
天皇家以外の人物で、初めて皇后になった人物です。それまでは天皇家以外の女性が、天皇の妻になった場合は「后」(きさき)でした。
光明皇后の娘の孝謙天皇は、女性初の皇太子になりました。道鏡との関係は別の機会にします。
このお寺ですが、法然が讃岐国へ流刑になる際、法然に浄土宗のお寺になりました。
それまで、何宗のお寺だったのか気になりました。
そして江戸時代、このお寺の井戸の水が酒造りに良いとされ、明石の地酒が生まれました。
灘の酒も江戸時代初期にできました。海岸線沿いの井戸の水で良いお酒ができたためです。
塩分などの海のミネラルを微量に含んだ水が、酒造りに良いのかもしれないですね。
ちょっとした事から調べてみますと、色々な事が見えてきますね。