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スパルタ教育を受けた明治天皇
11月3日は明治天皇のお誕生日。そこで明治天皇の話を書く事にしました。
慶長3年(1867年)12月、王政復古の大号令が発せられました。
王政復古の大号令の中には「神武創業に立ち返り、摂関政治、将軍の廃止」がありました。
ここから明治天皇が、のほほーんと暮らしていたのが一変しました。
神武創業の立ち返る事は、古来の天皇の姿に戻る必要もありました。
古代の天皇は軍の最高司令官でした。大和朝廷時代、天皇は軍を司る大連(おおむらじ)の大伴氏と物部氏を統括していました。
女帝といえども例外ではなく、白村江の戦いの時、斉明天皇は自ら九州へ赴き陣頭指揮を執りました。
この時の斉明天皇は68才。当時としては高齢でしたが、まさに日本を守るため、老体に鞭打っての行動でした。
丁度、欧米列強の皇帝・国王といえば、軍服を着て、勇ましい姿を見せていました。
日本も負けずに、明治天皇を勇ましい姿にする必要がありました。
西郷隆盛によるスパルタ教育が始まりました。相撲、乗馬などなど。天皇といえども手加減しない西郷隆盛の教育でした。
しかし、親身になっての指導だったため、西南の役で、西郷隆盛が亡くなると、明治天皇はひどく悲しみました。
明治天皇が相手でも親身になって指導したといえば、 元・幕臣で、明治天皇の侍従になった山岡鉄舟も挙げられます。
明治天皇が深酒をして「相撲をとろう」と言い出し飛び掛ってきましたが、山岡鉄舟は避けた上、転んだ明治天皇に対して諫言をしました。
でも、明治天皇は山岡鉄舟の事を大事な人物だと思っていました。
明治天皇の写真を見ますと、勇ましい天皇の印象がありますが、その裏には西郷隆盛や山岡鉄舟といった明治天皇を本気で指導した人物がいました。
ところで古代の天皇が軍の最高司令官だったため、大日本帝国憲法11条には以下の条文になっています。
11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」
そして帝国憲法の公式解説書の憲法義解には、天皇に統帥権がある根拠として「古代の天皇は軍事部門を統率し、必要あれば、自ら兵を率いて討伐した」と書いています。
憲法義解は帝国憲法の制定の中心にいた伊藤博文、井上毅、金子堅太郎、伊東巳代治が、帝国憲法の審議のため枢密院に提出した憲法解説書です。
文語体で読みにくいですが、岩波書店から出ています。憲法義解
帝国憲法について詳しい事は、別の機会に書きます。
歴史を見ていきますと、色々な事が紐解く事ができますので面白いですね。