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11月29日は帝国憲法記念日。日本の歴史に根ざした憲法の話
1890年(明治23年)、11月29日は大日本帝国憲法が施行された日です。
帝国憲法の施行は、日本が近代国家として歩み始めた事を内外に宣言した事に他なりません。
帝国憲法は伊藤博文、井上毅、金子賢太郎、伊東巳代治が大激論しながら憲法草案を作成し、枢密院で審議され、公布になりました。
ところで帝国憲法はドイツ憲法を模範にしたと言われていますが、実際は、日本の歴史と欧米諸国の憲法を巧みに取り入れた物です。
帝国憲法がどういう物かを知る手がかりとして帝国憲法の公式解説書の「憲法義解」があります。「憲法義解」は岩波文庫から出版されていますので、簡単に入手する事ができます。
憲法義解は憲法審議のため、憲法草案と一緒に枢密院に提出されました。
憲法義解を読みますと、憲法の各条文の根拠に、古事記、日本書紀、播磨風土記に基づいた話が出てきます。
日本の伝統に根ざした帝国憲法です。それには理由がありました。
伊藤博文が憲法調査のため欧州へ渡ったのがキッカケでした。
立憲君主制の日本が手本にしようとしたのは、欧州の立憲君主制のイギリスやドイツでした。
しかし、イギリス憲法は、慣習法中心で成文化されていない部分が多い上、過去の法令(イギリス大憲章など)や判例も憲法として扱っていましたため、外国人にとって難解でした。
そのため伊藤博文はドイツ憲法を学ぶため、ドイツの法学者から講義を受けることになりました。しかし、延々と条文と解釈の話で、閉口していました。
そんな折、オーストリアの憲法学者のシュタインとの出会いがありました。
シュタインから「憲法は、その国の歴史に根ざした物でなければならない」と言われ、伊藤博文は目からウロコでした。
欧米の猿真似の憲法ではなく、日本の歴史に根ざした憲法。そう決意を固めた伊藤博文。
伊藤博文は帰国後、井上毅、金子賢太郎、伊東巳代治を集め、伊藤博文の別荘がありました横浜の金沢文庫で大激論しながら草案を作成しました。
そして枢密院の審議を経て、帝国憲法の公布となりました。
帝国憲法ですが運用はイギリス式を採用しました。帝国憲法の条文は、あくまでも明文化された憲法典で必要最低限の事しか書いていません。
過去の法令も憲法に含める発想のため、王政復古の大号令、五箇条のご誓文も憲法の一部になり、慣習も重要視しました。
与党第一党から首相を出すという憲政の常道も、帝国憲法には明記されていませんが、慣習として根付かせようとしました。
帝国憲法を知れば知るほど奥が深いですね。
余談になりますが、憲法草案の議論している際、憲法草案が入った鞄が盗まれる事件が起こりました。
憲法草案が外部に漏れては一大事という事で伊藤博文たちは血相を変えていましたが、幸い、鞄は見つかり憲法草案は無事でした。盗まれたのは現金でした。
そのため「盗まれたのが現金で良かった」となりました。