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坂之上田村麻呂が大きな鹿を射止めたから大鹿。兵庫県伊丹市

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 12月15日、伊丹市内の西国街道沿いを散策していますと大鹿という場所に出ました。
 看板に大鹿の地名の由来がありました。坂之上田村麻呂が大きな鹿を射止めたため大鹿と名づけられた。わかりやすい名づけ方ですね。

 坂之上田村麻呂は奈良時代末期から平安時代初期の人物で、武門貴族でした。今でいうキャリア武官でした。
 桓武天皇の蝦夷討伐で征夷大将軍として陣頭指揮をとった人物です。高校の歴史が懐かしいですね。
 
 坂之上田村麻呂は京都の清水寺を創建したとも言われています。文武両道ですね。
 清水寺には蝦夷討伐の際の敵将だったアテルイ・モレの碑があります。

 ところで疑問が出てきます。
 なぜ坂之上田村麻呂がこの地で狩りをしていたのか。京都から離れた伊丹で狩りをしているのは不思議ですね。
 この近くに行基が建設した農業用のため池・昆陽池がありますので穀倉地だったと考えられます。そのため農業視察のために訪れたのか。その時に食料として鹿を射止めたのか。想像するだけでも歴史は面白いですね。

 ちなみに西国街道は江戸時代の幹線道路でした。幹線道路なのに幅が狭い。交通量が少なかったのか。
 それとも道路に土地をとられたくなかったのか。それを想像するのも面白いですね。

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